冷戦時代における国連平和維持活動は限定的なものであり、国連憲章の理念にのっとった同意、中立、非強制といった原則は維持されていた。米ソの対立の中では一国の存在感は低下していて東対西という明確な対立図があり、またこの状況の中では米ソが圧倒的な軍事力を背景に自勢力に対する抑止力としても働いたので民族や人種、宗教といった今日の問題はある程度表面化を免れていた。国連は中心国の対立により本来期待されていた役割を十分に果たすことができたとはいえないが、地域紛争に対する平和維持活動は当事者の同意を前提として行われていた。
しかしこの構図が崩壊するとそれまでたまっていた矛盾が一気に噴出することとなり、また中国など新勢力の台頭により多極化という新たな構図が生まれた。この中でもPKOはUNTACにおける活動で新たな展開を見せることになった。
UNTACは質、量ともに変わった。従来のPKOはあくまでも時間や機会を設けて当事者間の対話を促すことを主たる活動としてきた。しかしUNTACは選挙準備部門、文民警察部門、人権監視部門などの非常に広範な7つの部門を持ち、事実上のカンボジア政府といっても差し支えないほどの権力を有していた。これは以降におけるPKOの、それまでのように見守るだけではなくより積極的に関わることによって平和を達成しようとする、ある意味では内政干渉ともいえる活動の走りとなった。
UNTAC以後と以前のPKOを比較して共通するところはPKOが依然として不安定な地位にあることだと思う。PKOは国連憲章に明確に定められた組織ではなく、それまでに行われた活動がPKOの性格を形作りそれ以降の活動を決定していく側面がある。
国際機構論
カンボジアにおけるUNTACの活動について
冷戦時代における国連平和維持活動は限定的なものであり、国連憲章の理念にのっとった同意、中立、非強制といった原則は維持されていた。米ソの対立の中では一国の存在感は低下していて東対西という明確な対立図があり、またこの状況の中では米ソが圧倒的な軍事力を背景に自勢力に対する抑止力としても働いたので民族や人種、宗教といった今日の問題はある程度表面化を免れていた。国連は中心国の対立により本来期待されていた役割を十分に果たすことができたとはいえないが、地域紛争に対する平和維持活動は当事者の同意を前提として行われていた。
しかしこの構図が崩壊するとそれまでたまっていた矛盾が一気に噴出することとなり、また中国など新勢力の台頭により多極化という新たな構図が生まれた。この中でもPKOはUNTACにおける活動で新たな展開を見せることになった。
UNTACは質、量ともに変わった。従来のPKOはあくまでも時間や機会を設けて当事者間の対話を促すことを主たる活動としてきた。しかしUNTACは選挙準備部門、文民警察部門、人権監視部門などの非常に広範な7つの部門を持...