人物表現の移り変わりと主題選択の特徴~近代初期風俗画から一人立ちの人物像~

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    資料紹介

    洛中洛外図などの近代初期風俗画の登場から、寛文美人に代表される一人立ちの人物像について、人物表現の移り変わりと主題選択の特徴を中心に述べなさい。

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    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「洛中洛外図屏風」は、京都の市街と郊外を大きく見渡し、そこに有名な寺社や名所と四季のうつろいを描き、上は内裏や公方の御殿から下は町屋や農家の住まいまで、そこに生きる人々の生活と風俗を描きだした屏風絵である。屏風絵の多くは、六つ折れ(六曲)の屏風二つがセットになっている。これを一双といい、一双の屏風の片方を一隻という。このような洛中洛外図屏風の数は、分かっているものだけで百点近くにもなる。
     洛中洛外図屏風が描かれた年代は、初期のもので室町後期の応仁・文明の乱以後の復興期(十六世紀前半)を描くものである。その乱で、京都の町は壊滅状態になり、その後の復興の中で、上京と下京の市街地がそれぞれ分かれたような状態になっていった。その二つの市街地は、南北に通ずる中央の道路一つだけで繋がっていたとされ、その道路が室町通りだと考えられている。
    歴博甲本・上杉本などの初期の洛中洛外図屏風の構成は、一隻は上京を、もう一隻は下京を中心に描いている。しかし、豊臣秀吉が聚楽第を建設したことで、初期の洛中洛外図屏風に変容をもたらした。上京と下京が別々に描かれていたものが、両者が合体し、町並みが続く大都市へと変貌し...

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