封建制の中世ヨーロッパにおけるゲルマン的共同体の中で、農民はフーフェ(宅地・庭畑地)という形態をとり、一子相続制を適用していました。形式的な平等で土地が分けられるので、不作の土地に当たった人は自分の土地を改良するインセンティブが起こります。そのため農村工業が発展し、封建制支配の弱い隙間を縫って局地的市場圏が展開されます。
市民革命では、マニュファクチャー的産業資本の農村が、問屋制的商業資本の都市を圧服しました。
さらに産業革命で、中産的生産者層が産業資本家と賃労働者の両極へと最終分解し始めます。この資本の原始的蓄積過程を完了させ、マニュファクチャーから工場制機械工業へ移行しました。
この市民革命と産業革命の二つの革命を経て、封建制から資本主義へと移行します。
産業革命を何と結びつけて考えるか、というところが人によって様々です。エンゲルスは労働条件と生活状態を産業革命と結びつけて考え、マルクスは古い生産様式が機械制にとってかわることを産業革命と結びつけて考えました。
私は、何か一つのものを結びつけて考えるのではなく、様々なものを結びつけて全体として産業革命を考えていきたいと思います。
2005/1/26
経済史総論レポート
封建制の中世ヨーロッパにおけるゲルマン的共同体の中で、農民はフーフェ(宅地・庭畑地)という形態をとり、一子相続制を適用していました。形式的な平等で土地が分けられるので、不作の土地に当たった人は自分の土地を改良するインセンティブが起こります。そのため農村工業が発展し、封建制支配の弱い隙間を縫って局地的市場圏が展開されます。
市民革命では、マニュファクチャー的産業資本の農村が、問屋制的商業資本の都市を圧服しました。
さらに産業革命で、中産的生産者層が産業資本家と賃労働者の両極へと最終分解し始めます。この資本の原始的蓄積過程を完了させ、マニュファクチャーから工場制機械工業へ移行しました。
この市民革命と産業革命の二つの革命を経て、封建制から資本主義へと移行します。
私も大塚史学のように比較経済学的な見方で考えています。
それは、産業革命はたんなる歴史の一部分ではなく、歴史に劇的な変化を与えた出来事であると考えるからです。
産業革命前と革命後の変化を考えてみます。
封建制から資本主義へ、マニュファクチャーから工場制機械工業へ、協業から分業へ、など色々あ...