彼の人生、生涯を大まかにしか知らないが、彼はとても洒落たセンスをもっているのだろうとしみじみ思う。巧みな言葉の使い方、語呂の合わせ方、冷めることは無いしゃれ。そう簡単には、なりきりも、真似も出来ないだろう。また、彼の熱烈な、恋や女という存在への賛美はまるで神を崇める信者のようであり、日本人特有の湿った感触よりも、外国人作家や詩人を思わせた。静かに愛するというよりも、手を取り合い楽園に進もう、そんな広大な少し大げさな愛の表現に思える。詩ではあまり見たことのない、当時では発禁処分にでもされそうなほどの遠まわしでありかつ露骨である性描写は、美しくもあるが、女である自分から見ると、少し気色悪いと感じるのも本音である。しかしそれにはぬめるようないやらしさが無く、絶大に賛美された表現を見ると、女の性、女の体の美しさよりもむしろ、その範囲を超越した、人間の神秘に感動しているようにさえ捉えられる。丁度、人が受胎してまた人が創られることに神秘を感じるように。
神々しいまでに描かれた女性の体と恋は、良い意味で青臭さが漂っているような気がする。恋に恋している少年が始めてそれを知り、初めての味に無我夢中になっているようだ。ただ先にも述べたとおり、女性器などの表現は遠まわしにはしているものの、それが逆にかえってリアルに連想させて、私自身は読んでいていい気分はしない。飽くまで個人的な意見を言えば、まだ直接的な表現の方が耐え切れる。
初期の作品は読んでいて、僅かながら気恥ずかしくなるほどの恋に焦がれた匂いがあるものや、恋に酔っている作品が多いと見えるが、徐々にそれが後期になるにつれ、あまり無いと思っていた淋しさや物悲しさが漂い始めた。彼の詩は、初期から後期まで、ポジティブなものに思える。自然に逆らうことは無く、それに身を任すように、尖ったりはしない。彼の詩の中に無駄な逆らいは見えないのだ。
堀口大學詩集
恋と、性と、薔薇と、人間。彼の詩を読んだ時に、最後残ったのはこの四つだった。光太郎に続き相変らずの素人の読み方で、更に詩は物悲しいもの、不思議なものという固定観念を未だに拭い去れないでいる私には、悲しいものはほとんど書かない彼の詩に感情移入が出来なくて理解に苦しんだ。本屋に並んだ沢山の詩人の詩集を見て、最後まで迷い結局堀口大學にしたのだが、私はたまたま開いた一つの詩が印象的で、他のページをあまり見ること無く決定した。『性』という詩だった。彼は客観的に愛を見て、冷静にそれを言葉にしている。この詩の内容が、自分の愛と人間というものの概念にあまりにぴったりで、これだ、とすぐに決めてしまったのだ。 しかしどうだろうか、彼の詩集を読みすすめていくうちに、全く印象と異なっていた。彼は恋を賛美し、いかにそれが素晴らしいものかを書いているように感じる。そして、冷静だとばかり思っていた彼の詩は、とても情熱的であり、時におどけてさえいた。その影には物悲しさというものが感じられなかった。どことなく、シラーの詩を思わせる、情熱的な詩が印象的だった。(エクスクラメーションマークがとても多い印...