憲法発布後10年
藩閥勢力‐「超然主義」「超然内閣」
政党ではなく藩閥が一致協力して天皇にかわって国政の責に任ずる
初期議会期
「超然内閣」vs「民党」
憲法第67条 議会の予算審議権の制限の問題 政府vs衆議院
明治24/5/6 第一次松方内閣
民党「政費節減・民力休養」に対抗し積極政策
第二次伊藤内閣
1893/2 「和協の詔勅」
日清戦争後、政府、政党との提携を求め始める(政党と政府の利害の一致?)
1896(明26)/4 自由党総理板垣退助の内務大臣就任
明治29 第二次松方内閣
進歩党と提携、党首大隈重信外相主任
保守系官僚グループの反発(元老山県有朋)
1900(明33)/9 伊藤系官僚グループと自由党(憲政党)が合同、立憲政友会
進歩党(憲政本党)は野党
第二次松方内閣、地租増徴案に反発
進歩党は同内閣と提携を断絶→総辞職
1898(明31)/1/12 第三次伊藤内閣
増税案→自由党離れる
自由党、進歩党合同、憲政党に(6月)(衆議院の3分の2近く)
増税案不可能に、伊藤内閣総辞職
6/30 第一次大隈内閣
日本初の政党内閣
酒税大幅増徴(軍拡の代償)
憲政党、憲政党(旧自由党)、憲政本党(旧進歩党)に分裂、政党内閣崩壊
11/8 第二次山県内閣(保守系官僚グループ)
地租増徴案
憲政党‐賛成、伊藤系官僚に好印象
憲政本党‐反対
1900(明33)/8 伊藤系官僚グループと憲政党が合同、立憲政友会
10/19 第四次伊藤内閣
過半数政党は政友会
陸海軍大臣、外相以外は政友会員
首相、内、蔵、法相は伊藤系官僚からの入党者
近代日本の政治の歴史
憲法発布後10年
藩閥勢力‐「超然主義」「超然内閣」
政党ではなく藩閥が一致協力して天皇にかわって国政の責に任ずる
初期議会期
「超然内閣」vs「民党」
憲法第67条 議会の予算審議権の制限の問題 政府vs衆議院
明治24/5/6 第一次松方内閣
民党「政費節減・民力休養」に対抗し積極政策
第二次伊藤内閣
1893/2 「和協の詔勅」
日清戦争後、政府、政党との提携を求め始める(政党と政府の利害の一致?)
1896(明26)/4 自由党総理板垣退助の内務大臣就任
明治29 第二次松方内閣
進歩党と提携、党首大隈重信外相主任
保守系官僚グループの反発(元老山県有朋)
1900(明33)/9 伊藤系官僚グループと自由党(憲政党)が合同、立憲政友会
進歩党(憲政本党)は野党
第二次松方内閣、地租増徴案に反発
進歩党は同内閣と提携を断絶→総辞職
1898(明31)/1/12 第三次伊藤内閣
増税案→自由党離れる
自由党、進歩党合同、憲政党に(6月)(衆議院の3分の2近く)
増税案不可能に、伊藤内閣総辞職
6/30 第一次大隈内閣
日本初の政党内閣
酒税大幅増徴(軍拡の代償...