私が「キリシタン学校」を選択した理由は、西洋では今から約2000年前にイエス=キリストが生まれ、彼の説教をもとにしてキリスト教が展開され、古代〜中世の西洋の人々はキリスト教の世界観の中で生きていた。一方でキリスト教が日本に広まったのは、1549年にフランシスコ=ザビエルが布教のため日本にやってきて以来である。つまり、日本人は西洋人に比しておよそ1500年の間、キリスト教とは違った世界観の中で生きていたのである。このキリスト教の伝来が日本に与えた衝撃は、かなり大きかったのではないだろうか。このようなことから、キリスト教が日本にどのような影響を与えたのか、どのような変化をもたらしたのか、というところに興味を持ったので、キリシタン学校を選択した。
さて、本レポートのテーマであるキリシタン学校であるが、その発端はイエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルらが布教のために、1549年8月15日に鹿児島にやってきたことに始まる。日本にやってきたザビエルは各地を回って布教活動を行い、1551年11月にインドへ発った。この間、各地の領主からは布教の許可をもらうなど好意的な待遇を受けていたが、民衆への布教活動は、日本語が不得意だったこともあり、なかなかうまくはいかなかったようである。ちなみに、ザビエルが日本滞在中に改宗に導いた信徒数は1000人に充たなかったそうだ。
ザビエルが日本を去った後も残った宣教師たちによって布教活動が続けられ、1559年にキリスト教の教理を組織的に説くために初めて学校が設置された。これがキリシタン学校のはじまりである。その後も九州・機内を中心として学校が創設され、また、イエズス会は日本布教を重要視し、1579年に日本に派遣されたヴァリニャーノによってキリシタンの組織的な教育は本格化し、セミナリヨ・コレジヨ・ノビシアードなどの諸学校が設立された。
キリシタン学校
私が「キリシタン学校」を選択した理由は、西洋では今から約2000年前にイエス=キリストが生まれ、彼の説教をもとにしてキリスト教が展開され、古代~中世の西洋の人々はキリスト教の世界観の中で生きていた。一方でキリスト教が日本に広まったのは、1549年にフランシスコ=ザビエルが布教のため日本にやってきて以来である。つまり、日本人は西洋人に比しておよそ1500年の間、キリスト教とは違った世界観の中で生きていたのである。このキリスト教の伝来が日本に与えた衝撃は、かなり大きかったのではないだろうか。このようなことから、キリスト教が日本にどのような影響を与えたのか、どのような変化をもたらしたのか、というところに興味を持ったので、キリシタン学校を選択した。
さて、本レポートのテーマであるキリシタン学校であるが、その発端はイエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルらが布教のために、1549年8月15日に鹿児島にやってきたことに始まる。日本にやってきたザビエルは各地を回って布教活動を行い、1551年11月にインドへ発った。この間、各地の領主からは布教の許可をもらうなど好意的な待遇を受けていた...