1)古代の道徳教育思想
紀元前5世紀頃、教育史上はじめて提示された道徳教育に関する問題は「徳は教えられるか」であった。ソクラテスは「徳が知識で教えうるもの」だとすれば、「徳という事柄について、その教師となりうるのはどんな人か」と考えた。しかし徳には教師はないため、徳は教えられないものだということになる。徳は知識ではなく知見であり、具体的な行為において具体的に学ぶよりほかはない。ゆえにソクラテスは「徳の教師はない」としている。
対してプロタゴラスは徳を教えられるものと主張した。徳が懲罰などで他律的に教えられている事実に注目したのだ。彼の道徳教育は家庭での躾、教師のもとで受ける品行方正の教育、健全な肉体づくりの三段階で行われるが、これは世間に見られるごく普通の道徳訓練であった。
ソクラテスの弟子プラトンは子どもの道徳性を発達段階的に捉え、ソクラテス的方法とプロタゴラス的方法を調和させている。すなわち子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、その後はソクラテス的立場を採用したのである。
プラトンの教育学が理想主義だとすれば、アリストテレスの教育学は現実主義であるといえよう。アリストテレスは「習慣(エトス)はあたかも自然(フュジス)のごとし」として、外的強制によって形成される習慣こそ自制できない子どもを道徳的に高めていくと考えている。
2)近代の道徳教育思想
ルソーは『エミール』で「人間は造物主の手をはなれるとき、すべて善であるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と述べて、子どもを自然のままに教育することを主張した。人間の自然能力の開発への妨害となる要因、すなわち既成の体系的文化や道徳的・宗教的観念の注入を除去しながら、人間を自然のままに成長させていくというのが彼の主張する教育である。
道徳教育の歴史的変遷について
1)古代の道徳教育思想
紀元前5世紀頃、教育史上はじめて提示された道徳教育に関する問題は「徳は教えられるか」であった。ソクラテスは「徳が知識で教えうるもの」だとすれば、「徳という事柄について、その教師となりうるのはどんな人か」と考えた。しかし徳には教師はないため、徳は教えられないものだということになる。徳は知識ではなく知見であり、具体的な行為において具体的に学ぶよりほかはない。ゆえにソクラテスは「徳の教師はない」としている。
対してプロタゴラスは徳を教えられるものと主張した。徳が懲罰などで他律的に教えられている事実に注目したのだ。彼の道徳教育は家庭での躾、教師...