私には障害者福祉を学ぶ者として他の人には言えない秘密があった。講義を聴いたり、教科書や書物を読んだりすることによって、障害者に対する偏見や差別というものは私の中からほとんど消え去ったと思っている。しかしながら、どうしても消え去らない思いがあった。それは「障害を持った子供は持ちたくない」という思いである。「あなたは障害を持った子供を生ませますか?持てますか?」と聞かれたときには、表面的にはいつも建前として「はい、生ませます。持ちます。」と答えてきた。しかし、心の奥底では「生ませたくない…持ちたくない…」と考えていたのである。私はいつも上記のようなことを聞かれ、上記のような表面的な返事を返す時、後ろめたい気持ちに駆り立てられていた。「障害者福祉を学ぶ者がこんな思いを持っていていいのか?」と思うのである。
しかし、現実的に考えてみるとやはり「障害を持った子供は持ちたくない…生ませたくない…」と思ってしまう。そして、この思いは皮肉にも障害者福祉に関する知識が深まっていくのに比例して強くなっていった。要するに、障害者福祉に関する制度や障害を持った当事者の方々の生活などの実態を知るにつれ、「私にはこのような制度を活用して、障害を持った子供が満足してくれるような育て方ができるだろうか?」という疑問が膨らんでいき、その疑問に対して明確な答えをだす「自信」が無くなっていったのである。
もちろん、「自信」が無いということだけではなく、私の心の中に「障害を持った子供を育てるということは非常に大変だ」という考えが潜在的に潜んでいるということも、「障害を持った子供を持ちたくない…生ませたくない…」という思いを持つ原因となっている。むしろ、こちらの方が一番の理由なのかもしれない。
障害を持った「子供」と「幸せ」に過ごす
私には障害者福祉を学ぶ者として他の人には言えない秘密があった。講義を聴いたり、教科書や書物を読んだりすることによって、障害者に対する偏見や差別というものは私の中からほとんど消え去ったと思っている。しかしながら、どうしても消え去らない思いがあった。それは「障害を持った子供は持ちたくない」という思いである。「あなたは障害を持った子供を生ませますか?持てますか?」と聞かれたときには、表面的にはいつも建前として「はい、生ませます。持ちます。」と答えてきた。しかし、心の奥底では「生ませたくない…持ちたくない…」と考えていたのである。私はいつも上記のようなことを聞かれ、上記のような表面的な返事を返す時、後ろめたい気持ちに駆り立てられていた。「障害者福祉を学ぶ者がこんな思いを持っていていいのか?」と思うのである。
しかし、現実的に考えてみるとやはり「障害を持った子供は持ちたくない…生ませたくない…」と思ってしまう。そして、この思いは皮肉にも障害者福祉に関する知識が深まっていくのに比例して強くなっていった。要するに、障害者福祉に関する制度や障害を持った当事者の...