韓国と日本の「情」の違い

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    資料紹介

     日本人は人見知りをするひとが多い。一度知り合いになってからも、次に会った時には何となくぎくしゃくしてしまう。もちろん私もそうである。研究室の先輩や友達の友達に対しては、親しくなるまで緊張してしまう。しかし、たいていの日本人はそのようなものであるため私も今までそのことをそれほど気にしていなかった。
     けれど、今年韓国に研修に行ってからはそのことをはっきりと自覚するようになった。ホームステイをさせてもらった家の人は初めて会ったにも関わらず、前から知り合いであるかのように親しげに話しかけてきてくれた。何をしたいか、どこに行きたいかをいつも聞いてくれて、一生懸命私の話に耳を傾けてくれた。それはその家族が日本に興味があるからというだけなのだろうか。慣れないソウルを日本人同士で歩いていれば、道を尋ねたりすることもあった。店を探しているときには、わかりにくい場所にあるからということで、10分程離れている場所に連れて行ってくれた人もいた。その時、これが韓国人の「情」というものなのかもしれないと考えた。韓国には「米櫃がいっぱいでこそ、他人に情をかけることができる」や、「行く情があってこそ、来る情もある」という内容のことわざがある。私は日本語として情という言葉を使うときには、それは同情で正しい判断の邪魔をするものだという考えが先走っていた。しかし、韓国人の「情」は純粋な優しさに感じる。その人がしてほしいことをそのままにしてあげているように見える。食べられないほどの食事を出してくれることも、精一杯の優しさに感じられた。お別れの時にも「体に気をつけて」と握手をしてくれたが、言葉で単に寂しい、悲しいと言われるよりも私には心に伝わってくるものがあった。
     日本人の私から見れば、韓国の人にはそのような優しさを感じる。

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    韓国と日本の「情」
     日本人は人見知りをするひとが多い。一度知り合いになってからも、次に会った時には何となくぎくしゃくしてしまう。もちろん私もそうである。研究室の先輩や友達の友達に対しては、親しくなるまで緊張してしまう。しかし、たいていの日本人はそのようなものであるため私も今までそのことをそれほど気にしていなかった。
     けれど、今年韓国に研修に行ってからはそのことをはっきりと自覚するようになった。ホームステイをさせてもらった家の人は初めて会ったにも関わらず、前から知り合いであるかのように親しげに話しかけてきてくれた。何をしたいか、どこに行きたいかをいつも聞いてくれて、一生懸命私の話に耳を傾けて...

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