初期の農村協同組合
日本の農協の原型は産業組合である。これは小農民の協同組合で経済力が乏しく単独では商品経済に適応することのできないものが自治村落を単位として組織したものであり、1898年には全国に351の組合があった。これは相互扶助、近隣相識の関係上成り立っており、個人の資産を出し合い相互信頼、社会的保障をするものであった。産業組合はまず信用組合として設立されたものが多く農民を高利貸から守るという働きがあった。当初産業組合は信用事業と他の事業の兼業は禁止されていたが産業組合法の改正で事業の幅ができた。初期の産業組合は在村地主のリーダーシップのもとで行われていたが、運営が地主に依存しすぎていて経営が不安定な組合が多くつぶれてしまうところも多くあった。
昭和戦前期の農協
1900年に産業組合法が成立してから全国に普及していった。このあと‘20年代は農業不況となり農家経済が悪化していった。このころに小作料の減額を求める小作争議や人格承認を求める農民運動が発生した。これに対して農業団体育成政策で産業組合の系統組織を全国レベルで整備しその機能を強化することで、小作争議の沈静化をはかった。
1929年の世界恐慌が原因となり‘30年に日本へ波及して‘30年代は農業恐慌となった。これによって農産物価格が急速に下降して農家経済は疲弊した。この状況で農家は自治村落単位で構成農家の状況で小作争議か産業組合かの選択が迫られた。小作が多く存在し、経済的没落が著しく見られる地域(不在地主)では小作争議が、小作と地主が混在し、経済的没落がそれほどでもない地域では産業組合を設立するという流れがあった。このころの小作争議は小作料の減額を求めるものは減少し、小作の継続を求めるものが増加し、これは小作人の生活基盤に関わるものであったので社会的緊張や不安は深刻であった。
協同組合論レポート
わが国の農業発展において農協が果たしてきた役割について
初期の農村協同組合
日本の農協の原型は産業組合である。これは小農民の協同組合で経済力が乏しく単独では商品経済に適応することのできないものが自治村落を単位として組織したものであり、1898年には全国に351の組合があった。これは相互扶助、近隣相識の関係上成り立っており、個人の資産を出し合い相互信頼、社会的保障をするものであった。産業組合はまず信用組合として設立されたものが多く農民を高利貸から守るという働きがあった。当初産業組合は信用事業と他の事業の兼業は禁止されていたが産業組合法の改正で事業の幅ができた。初期の産業組合は在村地主のリーダーシップのもとで行われていたが、運営が地主に依存しすぎていて経営が不安定な組合が多くつぶれてしまうところも多くあった。
昭和戦前期の農協
1900年に産業組合法が成立してから全国に普及していった。このあと‘20年代は農業不況となり農家経済が悪化していった。このころに小作料の減額を求める小作争議や人格承認を求める農民運動が発生した。これに対して農業団体...