対人関係における喪失

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    資料紹介

     一つのあるものを喪失することはそれだけに止まらず連鎖的に喪失が続くことになる。人は本来の喪失に目を奪われがちであるが、一つの本来の喪失に対して副次的な喪失は数多く起こり、同時に起こるものとは限らず時間差がおいてから発覚するものもある。全ては単体でいることはなく単体同士が複雑に絡み合いながら大きくなっている。そのため、多数の副次的な喪失が本来の喪失となり、それがさらに副次的な喪失を生み出していく。広がっていく喪失の範囲が自分の周りの世界の外に出たとき、その人の喪失は終わりを告げるようにも見えるが喪失に終わりはなく、自分の世界の範囲の外で広がり続けそれが回りに回って、また自分の所に戻ってくることも考えられる。
     私が喪失の中で最大の喪失と思うのは喪失が共有されずに対象が無価値になることよりも、他者から見れば喪失に違いないのに本人がそれを喪失だとは思いも考えもしないことのように思える。本人にとってそれが小さい些少な喪失であったとしても、他者から本人の喪失とされると本人は喪失に気づかず喪失が広がっていくことになる。こうなると、本人の自覚がなく、本人の意見や行動すら無価値になることになる。また、本人にとっての喪失が重大な喪失であった場合、本人が気づかなければ本人そのものが自分の周りの対象を無価値にしていることになり、自己否定に繋がりかねない。

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    一つのあるものを喪失することはそれだけに止まらず連鎖的に喪失が続くことになる。人は本来の喪失に目を奪われがちであるが、一つの本来の喪失に対して副次的な喪失は数多く起こり、同時に起こるものとは限らず時間差がおいてから発覚するものもある。全ては単体でいることはなく単体同士が複雑に絡み合いながら大きくなっている。そのため、多数の副次的な喪失が本来の喪失となり、それがさらに副次的な喪失を生み出していく。広がっていく喪失の範囲が自分の周りの世界の外に出たとき、その人の喪失は終わりを告げるようにも見えるが喪失に終わりはなく、自分の世界の範囲の外で広がり続けそれが回りに回って、また自分の所に戻ってくることも...

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