リグ・ヴェーダにおけるインドラとヴァルナの役割を述べる前に、リグ・ヴェーダの時代のインドの神々全体に共通する役割を述べておかなければならない。
それは概ね現世利益の追求である。
それについて辻直四郎は「諸神は一般に和合して互いに争闘せず、信者に対してほとんど常に寛仁な態度を持している。人間の苦楽は一に神に依存し、神は人間の邪悪を罰すると同時に贖罪するものを赦免する。艱難に遭い、危急に際して人はただ神にのみ救援を求める。ただし祭式の動機は、敬虔で求めるところなき信念、あるいは神恩に対する感謝ではなく、所願の成就を目的とし、祭供讃歌に対する報酬を予期する交換契約である」(『辻直四郎著作集』 第一巻 ヴェーダ学?)と述べている。また、当時の必要に応じてある神が持つ力が変化する。更に、祭官の役目は、神と人とをつなぐということであったが、彼らの目的は、ただ自らが仕える王侯に福利をもたらし、それによる報酬と地位を得ることであった。
「一 早朝の訪問者(祭官)はまだき宝を授く。理解をもちて彼を款待する者は〔宝を〕貯蔵す。それにより子孫と寿命とを増進せしめつつ、勝れたる男子を有して富の増強にあずかる。
二 (祭主の言葉)彼はいみじき牛・いみじき黄金・いみじき馬を有すべし。インドラは彼に大いなる活力を授く、財宝もて到着する汝(早朝の訪問者)を、罠により獣を〔捕らうる〕ごとく留保する彼は。
三 (早朝の訪問者の言葉)われは今日朝まだき、善行者、〔わが〕欲求の子(待望の庇護者)を求めて、財宝に満ちたる車を伴いて来たれり。陶酔を催すソーマ液を飲ましめよ。人間の支配者(インドラ)を寛裕〔なる捧物〕をもって増大せしめよ」(『リグ・ヴェーダ讃歌』 ダクシナー(報酬・布施)を讃美する歌)
この『ダクシナーを讃美する歌』でも、目的が王侯と祭官の利益であったことは明白である。
リグ・ヴェーダにおけるインドラとヴァルナの役割について
リグ・ヴェーダにおけるインドラとヴァルナの役割を述べる前に、リグ・ヴェーダの時代のインドの神々全体に共通する役割を述べておかなければならない。
それは概ね現世利益の追求である。
それについて辻直四郎は「諸神は一般に和合して互いに争闘せず、信者に対してほとんど常に寛仁な態度を持している。人間の苦楽は一に神に依存し、神は人間の邪悪を罰すると同時に贖罪するものを赦免する。艱難に遭い、危急に際して人はただ神にのみ救援を求める。ただし祭式の動機は、敬虔で求めるところなき信念、あるいは神恩に対する感謝ではなく、所願の成就を目的とし、祭供讃歌に対する報酬を予期する交換契約である」(『辻直四郎著作集』 第一巻 ヴェーダ学Ⅰ)と述べている。また、当時の必要に応じてある神が持つ力が変化する。更に、祭官の役目は、神と人とをつなぐということであったが、彼らの目的は、ただ自らが仕える王侯に福利をもたらし、それによる報酬と地位を得ることであった。
「一 早朝の訪問者(祭官)はまだき宝を授く。理解をもちて彼を款待する者は〔宝を〕貯蔵す。それによ...