日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
この六月祓は天武天皇(六三一〜六八八)の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天子は節折の儀を行い、百官らは西刻(午後六時)に朱雀門に集まり着座し、ここで祝師が祝詞を読み、皆祓を受け祓物を大川に流した。このようにして、すべての人が犯した罪を祓い清めた。
現在の六月祓の特徴である、茅の輪くぐりが始められた時期は、判断が難しい。『備後風土記逸文』で北海の神・武塔神より命じられ、茅の輪を腰につけた者が厄を逃れることができたという神話より、用いられるようになったのが由来とされている。『日本年中行事辞典』には、藤原忠道の詩が次のように記述されている。「未知何物号菅祓、結草如輪令首蒙」鈴木棠三氏は、この詩から推測できるように「平安末期には茅の輪を首にかけ呪具として扱っていたと思われる」と述べている。(参考文献四七一頁)
儀式として古代には宮中でも私邸でも行われていた祓であるが、祓自体は『古事記』にもイザナミノミコトの部分に禊祓に関する記述があり、古代以前より行われていたと考えられる。この『古事記』によれば「イザナミノミコトが、死の穢れに触れたために、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原の河原で身を清めた」とある。
このように祓によって、謙虚に反省し身を改めるという行為が、日本では上代から行われていたのである。この祓は、日本の民俗宗教である神道の基本であるとされ、平安時代には一年の節目である六月、十二月の半年ごとに行われた。それ以外の時期でも、大宝律令後、神事が統制された事により、年中を通して祓の儀式は行われた。特別な儀がなくても、災厄、汚穢、罪障などがあれば、臨時に祓の儀は、行われる程だったのである。
日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
この六月祓は天武天皇(六三一~六八八)の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天子は節折の儀を行い、百官らは西刻(午後六時)に朱雀門に集まり着座し、ここで祝師が祝詞を読み、皆祓を受け祓物を大川に流した。このようにして、すべての人が犯した罪を祓い清めた。
現在の六月祓の特徴である、茅の輪くぐりが始められた時期は、判断が難しい。『備後風土記逸文』で北海の神・武塔神より命じられ、茅の輪を腰につけた者が厄を逃れることができたという神話より、用いられるようになったのが由来とされている。『日本年中行事辞典』には、藤原忠道の詩が次のように記述されている。「未知何物号菅祓、結草如輪令首蒙」鈴木棠三氏は、この詩から推測できるように「平安末期には茅の輪を首にかけ呪具として扱っていたと思われる」と述べている。(参考文献四七一頁)
儀式として古代には宮中でも私邸でも行われていた祓であるが、祓自体は『古事記』にもイザナミノミコトの部分に禊祓に関する記述があ...