一、はじめに
今井源衛氏の指摘するところに拠ると、宮の性格は日和見主義で「軽薄な事大主義者」
(一)として描かれている。また篠原昭二氏はそのような性格をさして、人のよい人柄が伺える、としている。(二)次に彼の容姿・教養を見ていくと、紅葉賀では、思わず源氏が好き心を起こしてしまうほど、人並み以上のものであったとの記述があり、賢木では洗練された和歌の詠みぶりを評価されている。さらに、先帝の子として生まれた、尊い血筋であ
る。特に、「少女」巻で、兵部卿宮から式部卿宮へ転じているが、式部卿というと、当時地位が高く、親王中で東宮を除く最高位であり、冷泉帝の叔父としてときめていた。また、
皇統を継ぐ大北の方をはじめ、紫の上の母・故按察大納言の娘など、恋愛体験が豊富な、芸能に長けた美男子であったといえよう。
ところが、全編に渡って式部卿宮の描写は好意をもって描かれていない。神野藤氏も指摘するように、「式部卿宮家は、光源氏とはなじまぬ権門の家として形象されてきた」のであり(五)、当然その家の当主である宮も、好意をもって描かれることはないのである。そこには、作者紫式部の意図が隠されているのではないだろうか。ここでは、式部卿宮の造形について探っていこうと思う。
二、基本的人格について―紫の上継子物語の系譜
式部卿宮は、紫の上の父宮として登場し、継子譚を展開する上で重要な人物となってくる。紫の上の母は式部卿宮が忍んで通ったことにより、大北の方から迫害され、ついには死んでしまう。頼るべき父宮とは疎遠で(源氏にひきとられる前は、紫の上を引き取ろうとするいたわりを見せているが)、侍女たちも父宮の北の方がいる邸宅をよく思ってはいない。また、大北の方の心理描写として、「わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、 口惜しう思しけり。」とあり、紫の上が意地悪な継母から逃げる事ができたことを暗示しており、やがて救い手の源氏が登場し、めでたく結婚する。
式部卿宮の造型
【目次】
一、はじめに
二、基本的人格について―紫の上継子物語の系譜
三、光源氏と政治家・式部卿宮
四、式部卿という官職―史実をもとに
五、まとめ
参考文献
一、はじめに
今井源衛氏の指摘するところに拠ると、宮の性格は日和見主義で「軽薄な事大主義者」
(一)として描かれている。また篠原昭二氏はそのような性格をさして、人のよい人柄が
伺える、としている。(二)次に彼の容姿・教養を見ていくと、紅葉賀では、思わず源氏が好
き心を起こしてしまうほど、人並み以上のものであったとの記述があり、賢木では洗練さ
れた和歌の詠みぶりを評価されている。さらに、先帝の子として生まれた、尊い血筋であ
る。特に、「少女」巻で、兵部卿宮から式部卿宮へ転じているが、式部卿というと、当時地
位が高く、親王中で東宮を除く最高位であり、冷泉帝の叔父としてときめていた。また、
皇統を継ぐ大北の方をはじめ、紫の上の母・故按察大納言の娘など、恋愛体験が豊富な、
芸能に長けた美男子であったといえよう。
ところが、全編に渡って式部卿宮の描写は好意をもって描かれていない。神野藤氏も指
摘するように、「式部卿宮家は...