『ハプスブルク家はなぜ滅びたか』
『ハプスブルク家はなぜ滅びたか』
中世に覇を唱えたハプスブルク家
ハプスブルク家は、ヨーロッパ最大の王朝だった。13世紀から20世紀まで、現ドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランド、ハンガリーにまたがる帝国、王国、公国、候国を支配したのは、ハプスブルク家である。たとえば、1452年から1806年まで、ドイツの王冠は常に彼らの頭上に輝いていた。反面、帝国の名の由来となっている領地ハプスブルクは、早くも1653年に皇帝フェルディナント2世の手を離れているのである。
15世紀半ばから続いた神聖ローマ帝国の世襲
ハプスブルク家はもともとスイスとアルザス地方に所領を持つ一貴族であったが、転機は13世紀に訪れた。この頃ドイツ(神聖ローマ帝国)では諸侯が争い、誰かが皇帝に就くと、一方で反勢力が皇帝をたてるなど、混迷を深めていた。こうしたなかハプスブルク家の栄華時代が幕を開け、本拠となるオーストリア...