木下順二の戯曲「夕鶴」は柳田國男編・全国昔話記録に収録されている鈴木棠三担当の「佐渡島昔話集」の中の異類女房譚を題材として、戦時中に書き下ろした「鶴女房」を書き直した作品である。
予ひょうを想いその愛情の証として、文字通り身を削って布を織るつうに対して、予ひょうはその布を売れば大金持ちになれるという惣どと運ずの甘言に乗ってしまい、そのつうが織った布に金銭的価値を見出してしまった。予ひょうにしてみれば多くのお金が手に入ることで楽な暮らしをつうにさせてやることができるだろうと思ってのことだった。都見物も出来る。つうは喜ぶだろうと思って彼女が懸命に織る布を彼女の為に金に換えるのだ。しかしつうにとってはそれ以上に予ひょうの純粋な心の方が大切だったのだ。彼が喜ぶならと織っていた布。互いに相手を思いつつもすれ違ってしまった悲劇がここにある。
自然経済と貨幣経済が対立することで、現代社会にもある矛盾を見出すことができる。愛情と物質の欲望を同時に満たしたいと思うことで既にその願いは叶わないものとなってしまっている。二兎を追うものは一兎も得ずというが、まさしくその典型であるとも言える。
また日本語による対立も面白く描かれている。金儲けだけを企む惣どと運ずの言葉をつうは理解できなかった。そのような悪質とも言える感情を理解できなかったのだろう。つうには損得関係なしに自分を助けてくれた予ひょうがいた上、同じ人間としてそれほどまでに違うものだとは思いも寄らなかったのだろう。相容れないこの二つの世界を日本語の台詞によって表現しようとする試みがある。つうの喋る日本語は標準を異なるものとして生きる者の心が伝わる日本語の在り方を示し、惣どと運ずの言葉は方言を取り入れたどこでも耳に出来る民衆的な日本語の在り方を示している。
木下順二の戯曲「夕鶴」は柳田國男編・全国昔話記録に収録されている鈴木棠三担当の「佐渡島昔話集」の中の異類女房譚を題材として、戦時中に書き下ろした「鶴女房」を書き直した作品である。
予ひょうを想いその愛情の証として、文字通り身を削って布を織るつうに対して、予ひょうはその布を売れば大金持ちになれるという惣どと運ずの甘言に乗ってしまい、そのつうが織った布に金銭的価値を見出してしまった。予ひょうにしてみれば多くのお金が手に入ることで楽な暮らしをつうにさせてやることができるだろうと思ってのことだった。都見物も出来る。つうは喜ぶだろうと思って彼女が懸命に織る布を彼女の為に金に換えるのだ。しかしつうにと...