序文
江戸後期、北斎・広重らと並んで名を馳せた浮世絵師に、歌川国芳(一七九七〜一八六一)がいる。浮世絵にもさまざまなジャンルが登場し、発展していったこの時代に国芳の浮世絵の「戯画」が、何故評判を呼んだのか。それは長年続いた江戸幕府が崩壊しかけ、新しい時代へと脱皮していく日本と、国芳の「戯画的表現」がまさにマッチしていたからである。
ではこの「戯画的表現」がどんなものであったのか、時代背景を説明しながら述べていこう。
本文
まず、この時代がどんな時代であったのか。
時代背景
江戸後期は、天保の飢饉のため困窮する農民・町人が増え、一揆などが多発していた。そんな時代にもかかわらず、十一代将軍徳川家斉(一七七三〜一八四一)の大御所政治の為幕府は贅沢な暮らしをしており、これに対し、幕府内外でも怒りが限界に達していた。その後家斉が亡くなり、始まった天保の改革でさらに厳しい取締りが行われ世情不安はいっそう深まっていった。
当時の町の様子は、小林克氏によると「町人は人口では全体の半数をしめながら、面積では市街の二割弱の町人地に超過密の中で生活していた」と述べられている。下層の町人に
とっては、まさに身も心も抑圧された状態だった事がわかる。
また出版に関しては『原色浮世絵大百科事典第一巻』の記述によると、「版画は大量製作広域普及の為に社会文化に影響することが大きくその出版については諸種の制約が司直に
よって加えられた」とある。
そこで国芳は、この幕府の取り締まりに反抗するように、「戯画」という方法で数々の作品を発表していく。
作品の紹介
まず『源頼光館土蜘作妖怪図』天保時代の作品である。徳川を源氏に見立て、源氏が病気になった際にさまざまな妖怪に苦しめられるという逸話を基にしたのである。
幕末の崩壊現象を滑稽に表現 - 国芳-
序文 江戸後期、北斎・広重らと並んで名を馳せた 浮世絵師に、歌川国芳(一七九七~一八六一)
がいる。浮世絵にもさまざまなジャンルが登場 し、発展していったこの時代に国芳の浮世絵
の「戯画」が、何故評判を呼んだのか。それは 長年続いた江戸幕府が崩壊しかけ、新しい時
代へと脱皮していく日本と、国芳の「戯画的表 現」がまさにマッチしていたからである。
ではこの「戯画的表現」がどんなものであっ たのか、時代背景を説明しながら述べていこう。
本文 まず、この時代がどんな時代であったのか。
時代背景 江戸後期は、天保の飢饉のため困窮する農 民・町人が増え、一揆などが多発していた。そ
んな時代にもかかわらず、十一代将軍徳川家 斉(一七七三~一八四一)の大御所政治の為
幕府は贅沢な暮らしをしており、これに対し、 幕府内外でも怒りが限界に達していた。その
後家斉が亡くなり、始まった天保の改革でさら に厳しい取締りが行われ世情不安はいっそう
深まっていった。
当時の町の様子は、小林克氏によると「町人は人口では全体の半数をしめながら...