多摩の近代化遺産

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    資料紹介

    私は山形県の出身だが、現在は東京都多摩市で一人暮らしをしている。今回『近代化遺産』というテーマで課題が出た時、真っ先に頭に思い浮かんだ多摩市の近代化について調べてみようと思った。
    まず、現在、多摩市は東京都に属しているが近代の初めの1893(明治26)年までは神奈川県に所属しており、北多摩・南多摩・西多摩郡の三郡を総称して、いわゆる「三多摩」と呼ばれていた地域である。大きく見れば、埼玉・山梨・神奈川の三県と東京の区部とに位置する地域であり、北は丘陵と近世の新田地域、西は2千?級の山岳地帯、南は山梨県の西部と神奈川県の相模台地、東は首都東京に接し、さらに横浜・川崎という大都市につながっている地域である。そして、中心といえる地域を示すことができない東西に長細い形をしており、その間を多摩川が貫流しているのが地理的特徴である。この多摩川(写真1)は多摩の住人にとっては物流と文化の道でもあり、生活文化と切り離せない存在であった。反面、この川の水源とその管理を廻っての水問題がいつの時代も表出しており、川の立場からの歴史が描かれることが大事だと思う。

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    多摩の近代化遺産~多摩ニュータウン~
    私は山形県の出身だが、現在は東京都多摩市で一人暮らしをしている。今回『近代化遺産』というテーマで課題が出た時、真っ先に頭に思い浮かんだ多摩市の近代化について調べてみようと思った。
    まず、現在、多摩市は東京都に属しているが近代の初めの1893(明治26)年までは神奈川県に所属しており、北多摩・南多摩・西多摩郡の三郡を総称して、いわゆる「三多摩」と呼ばれていた地域である。大きく見れば、埼玉・山梨・神奈川の三県と東京の区部とに位置する地域であり、北は丘陵と近世の新田地域、西は2千㍍級の山岳地帯、南は山梨県の西部と神奈川県の相模台地、東は首都東京に接し、さらに横浜...

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