19世紀中期、欧米で発生したジャポニスムの発端となったのは、1867年、パリで開催された国際博覧会である。この博覧会で日本は美術品・工芸品・調度品を多く出品し、欧米人の興味を惹くこととなった。これをきっかけに、浮世絵や墨絵、屏風や扇子といった美術品・調度品、また着物や浴衣、櫛や茣蓙、畳といった日常品まで、あらゆるものが輸入され、日本に対する関心が高まっていった。
中でも浮世絵が印象派やアール・ヌーヴォーの作家に多く影響を与えた。それまでの西洋美術に、日本的な要素を多く取り入れた斬新な作品が見られはじめたのもジャポニスムの台頭相まってのことである。
これらの影響は主題の面で顕著に表れている。ゴッホは歌川広重の「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」から「花咲く梅の木」(1887)を、同様に「名所江戸百景 大橋、あたけの夕立」から「雨中の橋」(1887)を模写している。また「タンギー爺さん」(1887)は、髭をたくわえた老人の背景に、六枚の浮世絵を配した作品になっている。このようにパリ在住時のゴッホは多くの浮世絵と接し、日本に対する憧憬の念を深めていった。
アルルでのゴッホは、パリ在住時に描いた...