「生かし生かされる存在」という言葉を聞いて最初に思い浮かんだのは社会生活の中での高齢者と若者の関係なので、それについて考えてみようと思う。
私は今までどちらかといえばコンピュータとか何々技術と言ったような、新しいことに興味を持ってきた。例えば天気予報に関しても、昔祖母に教わった、月に雲がかかっていたら明日は雨が降るとか、こういう現象が起きれば日照りがくるといったような話にはあまり興味を持たずに、雲の様子を宇宙衛星で観察し、コンピュータを使って得られた結果のほうに興味が行っていた。確かに限りなく論理を追求し、コンピュータを駆使してものを考えていくときには若者の知識や体力が必要なのだと思う。しかし、果たしてそういう若者の知識と体力だけで世の中が成り立つのかと考えると、それは違うような気がする。
例えば私たちは戦時下の社会もバブル期の社会も上辺でしか知らず、それらを肌で感じてきた世代の人の助言は、これから先必ず必要になってくると思う。若い世代は新しいことに関心が偏りがちで、古き良きもの、大切にすべきものを忘れがちだが、若者の知恵だけであまりにも勢いよく突っ走ってうまくいかない話は 結構世の中に多いのではないかと思う。もし古老の知恵が生きていたらこんなことにはならなかったのに。そういう思いを若い人が持つときに人は自然と老いた人を尊敬する気持ちを持つのではないかと思う。そしてそのときに高齢者は今の時代を働く一員となり、高齢者は若者と全く同じように社会に活躍の場所が得られるのではないだろうか。
レポート、福祉学、高齢者の尊厳、高齢者の活躍、高齢者とのかかわり方
「生かし生かされる存在」という言葉を聞いて最初に思い浮かんだのは社会生活の中での高齢者と若者の関係なので、それについて考えてみようと思う。
私は今までどちらかといえばコンピュータとか何々技術と言ったような、新しいことに興味を持ってきた。例えば天気予報に関しても、昔祖母に教わった、月に雲がかかっていたら明日は雨が降るとか、こういう現象が起きれば日照りがくるといったような話にはあまり興味を持たずに、雲の様子を宇宙衛星で観察し、コンピュータを使って得られた結果のほうに興味が行っていた。確かに限りなく論理を追求し、コンピュータを駆使してものを考えていくときには若者の知識や体力が必要なのだと思う。しかし...