教師とはいったい何であろうか。人にものを教える人を教師というならば、万人が万人に対して教師ということになる。しかし一方で、現在には教えることを生業にした人が存在するのも事実である。
この点の疑問においては、まず教員と教師の違いを押さえておく必要がある。教員は、近代教育制度によって制度化された学校において、公的に認定された資格を持って、意図的、計画的、専門的に教育活動に携わる公職者をいう。これに対して教師の方は、その人の人格が、児童・生徒に肯定的な教育作用を及ぼすと考えられる場合に用いることが多いのである。
では、近代化以後に出現した教員のあり方はどのような変遷を辿ってきたのであろうか。まず、戦前においての教師像は子供に道徳的感化を与えうる人格を所有している者として、崇高な使命と清貧に尊厳があった。この「聖職者」としての教師、すなわち戦前の教師が優れていた点は、何よりも教師としての使命感である。子供にとって、また社会にとっての手本となるべくそれを行動で示していたのである。逆に劣っていた点は、教育内容や学識が重視されるあまり、教育技術や生徒理解などが軽視されていた点にある。
その後、敗戦を経て日本の教育は「国家のための教育」から「自己のための教育」へと大きな変化を遂げる。同時に教員も大きく変化する。今までの清貧としての教師から、一般労働者と同じように賃金引上げを要求する者へと変わったのである。聖職者としての教員から労働者としての教員への移行が為されたのである。
時ほぼ同じくして、戦前の教育技術軽視への反省から、教育の技術や科学化を非常に重視するようになった。教師が専門職になったのである。
この戦後に出てきた「労働者論」と「専門職論」がもたらしたメリットは、教師の自主性や権利、自由が認められるようになったことである。
教師とはいったい何であろうか。人にものを教える人を教師というならば、万人が万人に対して教師ということになる。しかし一方で、現在には教えることを生業にした人が存在するのも事実である。
この点の疑問においては、まず教員と教師の違いを押さえておく必要がある。教員は、近代教育制度によって制度化された学校において、公的に認定された資格を持って、意図的、計画的、専門的に教育活動に携わる公職者をいう。これに対して教師の方は、その人の人格が、児童・生徒に肯定的な教育作用を及ぼすと考えられる場合に用いることが多いのである。
では、近代化以後に出現した教員のあり方はどのような変遷を辿ってきたのであろうか。まず、戦前においての教師像は子供に道徳的感化を与えうる人格を所有している者として、崇高な使命と清貧に尊厳があった。この「聖職者」としての教師、すなわち戦前の教師が優れていた点は、何よりも教師としての使命感である。子供にとって、また社会にとっての手本となるべくそれを行動で示していたのである。逆に劣っていた点は、教育内容や学識が重視されるあまり、教育技術や生徒理解などが軽視されていた点にある。
その後...