島の阿波おどりと、岡山西大寺の裸まつりのビデオを観た。阿波おどりでは見ている人も含めて、その場にいる全員と一体感を味わっているように感じた。一方、裸まつりではたった2本の宝木を手に入れるという目標のために行動したということで、グループ内のメンバー同士の結びつきは強まる。だが、「全体」としての一体感はなく、戦争のような印象さえ受けた。このように、2つの祭りはまったく異なる様相を呈してはいるが、同じ伝統的な日本の祭りとしての共通点もある。そこでこの2つの祭りに共通する特徴について、新宗教やグレーゾーンと呼ばれる数々の現象と比較しながら述べることにする。
2つの祭りとも参加者自身で楽しむことが第一の目的のように感じた。阿波おどりは「見せる」ためのおどりというよりは、おどる側が楽しんでいるようだった。裸まつりでは、外から見ていても何もわからない。ただたくさんの人が一箇所に集まっているだけに見える。どこに宝木があるのか、いつ持ち出されたのか、まったくわからない。群衆の中での駆け引きなどは参加者にしかわからないだろう。
伝統的な祭りのビデオを観て
徳島の阿波おどりと、岡山西大寺の裸まつりのビデオを観た。阿波おどりでは見ている人も含めて、その場にいる全員と一体感を味わっているように感じた。一方、裸まつりではたった2本の宝木を手に入れるという目標のために行動したということで、グループ内のメンバー同士の結びつきは強まる。だが、「全体」としての一体感はなく、戦争のような印象さえ受けた。このように、2つの祭りはまったく異なる様相を呈してはいるが、同じ伝統的な日本の祭りとしての共通点もある。そこでこの2つの祭りに共通する特徴について、新宗教やグレーゾーンと呼ばれる数々の現象と比較しながら述べることにする。
2つの祭...