第二次世界大戦のあとの二十年の期間、東南アジアの地域秩序に大きな変化が見られた。1950年代は、共産主義に対する防波堤としての地域同盟を発展させるための西側諸国の一方的なパワーに特徴づけられる。この期間は、地域機構を発展させるための東南アジア諸国の努力が、ごく小さなもので、また美辞麗句なものであった。しかし1950年代後半から、東南アジア諸国の指導者の中でも地域組織を作ろうとする動きが見られるようになった。1960年代には、西側諸国の主張するリージョナリズムのようなものに巻き込まれることの危険さ、無益さが東南アジア諸国の中でも認められるようになり、そして、周辺地域の安全保障関係を運営し、大きな力を持つ外部の敵から受ける有害な影響から守ろうとする「自立」をしようとする、国家としては当然の願いが大きくなってきた。
上述したが、1960年代にリージョナリズムの動きが高まったのは東南アジアだけではない。当時の58年の欧州経済共同体(EEC)の結成に触発され、中南米やアフリカで相次いで地域協力機構・組織が結成された。EEC向けの輸出の縮小に備えて、主として地域的に隣接する途上諸国間の相互の貿易の拡大を狙った、ある種の自己防衛的な措置であった。
東南アジアでは、1967年にタイ・インドネシア・フィリピン・マレーシア・シンガポールによって地域協力機構が設立された。ASEAN(東南アジア諸国連合)である。ベトナム戦争の激化を受け、反共5カ国が社会主義に対抗するために結束し、西側先進諸国との協力による経済発展と大国の内政への介入排除を目指したもので、やはり自己防衛的な性格を持つものであった。
「東南アジアの地域主義に関する冷戦期と現在の比較考察」
第二次世界大戦のあとの二十年の期間、東南アジアの地域秩序に大きな変化が見られた。1950年代は、共産主義に対する防波堤としての地域同盟を発展させるための西側諸国の一方的なパワーに特徴づけられる。この期間は、地域機構を発展させるための東南アジア諸国の努力が、ごく小さなもので、また美辞麗句なものであった。しかし1950年代後半から、東南アジア諸国の指導者の中でも地域組織を作ろうとする動きが見られるようになった。1960年代には、西側諸国の主張するリージョナリズムのようなものに巻き込まれることの危険さ、無益さが東南アジア諸国の中でも認められるようになり、そして、周辺地域の安全保障関係を運営し、大きな力を持つ外部の敵から受ける有害な影響から守ろうとする「自立」をしようとする、国家としては当然の願いが大きくなってきた。
上述したが、1960年代にリージョナリズムの動きが高まったのは東南アジアだけではない。当時の58年の欧州経済共同体(EEC)の結成に触発され、中南米やアフリカで相次いで地域協力機構・組織が結成された。EEC向...