私は安部公房著「砂の女」を読んだ。安部公房といえば、高校の国語の教科書にあった「赤い繭」しか読んだことはなかった。「赤い繭」は自分が誰か、どこに住んでいたか分からない主人公の男が家々を訪問しては、自分を知らないか、この家は自分の家ではないかと尋ね回りやがて赤い繭になってしまうというなんとも不思議で奇怪な作品として心に残っている。
まずは「砂の女」を読んでの個人的な感想だが、場面設定はほとんど砂の中だけであるにもかかわらず、スリリングで惹きこまれた。しかも日常では絶対に起こるはずがないのに、まるで主人公になったかのように、不安や苦痛を味わうことができる作品だと思った。では、あらすじを元にこの作品を見ていきたい。
八月のある日に男が一人行方不明になった。失踪してから七年たったのちに、法律でその男の死が認定されたという結論からこの物語は始まる。男は教師をしており、休暇を利用して、昆虫採集のために砂丘へ向かう。男の目的は自分の名前が昆虫大図鑑に書きとめられるような新種を発見することにあった。その地で男は部落の老人にその晩の寝床を勧められる。男は勧められるがまま受け入れ砂の崖の下にあり、女が一人で住む家を紹介される。だんなと子供を砂の大風で亡くした女は、男に気に入られようとあれこれ世話をする。しかし、それは砂に覆われた部落を維持していくために、部落の人々と女がぐるになって、男を砂の穴に閉じ込めておきたいがための行動であった。
「砂の女」がカフカから受けた影響
私は安部公房著「砂の女」を読んだ。安部公房といえば、高校の国語の教科書にあった「赤い繭」しか読んだことはなかった。「赤い繭」は自分が誰か、どこに住んでいたか分からない主人公の男が家々を訪問しては、自分を知らないか、この家は自分の家ではないかと尋ね回りやがて赤い繭になってしまうというなんとも不思議で奇怪な作品として心に残っている。
まずは「砂の女」を読んでの個人的な感想だが、場面設定はほとんど砂の中だけであるにもかかわらず、スリリングで惹きこまれた。しかも日常では絶対に起こるはずがないのに、まるで主人公になったかのように、不安や苦痛を味わうことができる作品だと思った。では、あらすじを元にこの作品を見ていきたい。
八月のある日に男が一人行方不明になった。失踪してから七年たったのちに、法律でその男の死が認定されたという結論からこの物語は始まる。男は教師をしており、休暇を利用して、昆虫採集のために砂丘へ向かう。男の目的は自分の名前が昆虫大図鑑に書きとめられるような新種を発見することにあった。その地で男は部落の老人にその晩の寝床を勧められる。男は勧められるがまま...