歴史としての冷戦

閲覧数3,462
ダウンロード数32
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    冷戦とは、地政学上の争いだけでなく、突き詰めれば「人間が自らをどうとらえるか」という、哲学上の争いでもある。そしてそれは、社会制度や人間性の捉え方さえも含むイデオロギー上の対立によってさらに熾烈なものとなっていく。西側にとって、冷戦における勝利とはヤルタ協定の解釈に沿った状況を回復させることであった。つまり、西側はソビエトが中央ヨーロッパを勢力圏とするのを事実上認め、一方でソビエトに、アメリカの西ヨーロッパ、日本、韓国との結びつきを認めさせる事で是としていた。もちろん強硬派は、こうした取り決めでは不十分だと見ていたが、リベラル派は、冷戦を終結させるためには、現状維持を受け入れなければならないと考えていた。ソビエトにとっての勝利の定義は、NATOの解体を通じて西ヨーロッパを中立化すると共に、日本の中立化もはかり、さらには西ヨーロッパでのアメリカの政治的・軍事的プレゼンスをなくすことであった。また、資本主義に対する共産主義経済システムの優位を世界規模で達成することでもあった。この45年間続いた冷戦が終結したのはミハイル・ゴルバチョフが1990年11月19日にパリでドイツ統一を認めたときである。事実上の「降伏宣言」により、冷戦は完全に終結した。今後の歴史を探る上で、この冷戦における二つの問題を検証する必要がある。それは、「冷戦はいかに戦われたのか。より具体的には、冷戦には明確な時代区分が存在するのか。」「冷戦の結末はそもそも予想されていたのか。西側が実際よりも早い時期に勝利を収める、またはソビエトが冷戦に勝利を収める可能性はあっただろうか。」という問題である。<中略>

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    歴史としての冷戦
    冷戦とは、地政学上の争いだけでなく、突き詰めれば「人間が自らをどうとらえるか」という、哲学上の争いでもある。そしてそれは、社会制度や人間性の捉え方さえも含むイデオロギー上の対立によってさらに熾烈なものとなっていく。西側にとって、冷戦における勝利とはヤルタ協定の解釈に沿った状況を回復させることであった。つまり、西側はソビエトが中央ヨーロッパを勢力圏とするのを事実上認め、一方でソビエトに、アメリカの西ヨーロッパ、日本、韓国との結びつきを認めさせる事で是としていた。もちろん強硬派は、こうした取り決めでは不十分だと見ていたが、リベラル派は、冷戦を終結させるためには、現状維持を受け入れなければならないと考えていた。ソビエトにとっての勝利の定義は、NATOの解体を通じて西ヨーロッパを中立化すると共に、日本の中立化もはかり、さらには西ヨーロッパでのアメリカの政治的・軍事的プレゼンスをなくすことであった。また、資本主義に対する共産主義経済システムの優位を世界規模で達成することでもあった。この45年間続いた冷戦が終結したのはミハイル・ゴルバチョフが1990年11月19日にパリでドイツ統...

    コメント3件

    masafumi 購入
    感想が、少し短いと感じた。
    2006/01/25 17:31 (18年11ヶ月前)

    bayerun 購入
    参考になりました。
    2006/07/04 18:04 (18年6ヶ月前)

    oct04sep27 購入
    とても良かった
    2006/10/02 6:27 (18年3ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。