独立を達成した旧植民地は極めて豊かな連合関係を形成していたが、やがて各州間の争いに加えて各州内での深刻な利害の対立が見られるようになり、かつて人々を公共の利益へと向かわせた古代的共和主義は後退し、貪欲と利益とが政治の舞台を彩ることになった。
1787年フィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開催された。
当時憲法制定は社会契約と考えられ、人民は憲法案に対する批准投票を行う権利を持っていた。
批准投票に影響を与えるべく多くの賛否両論が巻き起こったが、ハミルトン、マディソ\\\ン、ジェイの手になる『ザ・フェデラリスト』は代表\\\的な憲法弁護論であった。
マディソ\\\ンは「直接民主制の下にあっては、古代の都市国家において見られたように、多数派の専制支配に抗する手段がなく、領域の狭さは利害の同質性の故に容易にこうした多数派を生み出す」と指摘した。
これに対して賢明な視野の広い人々が人民の代表\\\者となり、一部利益の暴\\\走が阻止される。したがって大きな共和国の建設によって、自由や所有権にとって危険な派閥の猛威を防ぐことができる。
『ザ・フェデラリスト』
大きい共和国と派閥
独立を達成した旧植民地は極めて豊かな連合関係を形成していたが、やがて各州間の争いに加えて各州内での深刻な利害の対立が見られるようになり、かつて人々を公共の利益へと向かわせた古代的共和主義は後退し、貪欲と利益とが政治の舞台を彩ることになった。
1787年フィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開催された。
当時憲法制定は社会契約と考えられ、人民は憲法案に対する批准投票を行う権利を持っていた。
批准投票に影響を与えるべく多くの賛否両論が巻き起こったが、ハミルトン、マディソン、ジェイの手になる『ザ・フェデラリスト』は代表的な憲法弁護論であった。
マディソンは「...