脳死と臓器移植

閲覧数4,485
ダウンロード数59
履歴確認

    • ページ数 : 9ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    事故と脳死
     交通事故負傷者数は年間100万人を超えます。そして事故の場合、最も深刻なダメージをこうむるのは頭部です。現に死者の場合はその受傷部位は頭部が一番多く、重傷者の場合でも、脚部に次いで多い割合を占めています。多くの人が交通事故を他人事のようにとらえていると思います。しかし年間100万人を超えるという事は、1時間にして約120人、1分にすれば約2人。今この瞬間にも事故により生命の危機にさらされている人がいるということを私達は理解しなければなりません。交通事故やその他の原因により人は誰でも脳死の状況になる可能性があるのです。
    ..........................
    次にドナー側の立場を考えると、また気持ちは変化してしまうのです。脳死・臓器移植が行われる場合、その多くは事故死のように突然死で亡くなった人がドナーとなります。ところが、日本人は伝統的には死を段階的に認めるのであり、ある瞬間もしくは非常に短い時間に死が起こるという考え方をしません。そしてこの考え方は今日でも潜在的な意識として、存在しているのです。本来「人の死」の認定には家族をはじめとする周囲の多くの人の同意が必要とされます。呼吸がなくなり、心臓が停止し、瞳孔が散大し、だんだん体が冷たくなっていくという「当たり前の死」によって、周囲の者は初めて死を決定的なものとして受け入れることができるのだと思います。ところが脳死による死ではこのように死を実感することができないのです。
     脳死と判定された人は延命措置がほどこされていない限り、死へと向かっていきます。しかし病室のベッドで横になっているその人はただ眠っているようにしか見えないのです。手を握ればまだ温もりは残っていて、呼吸器による人工的なものであっても、呼吸のリズムに合わせて上下する胸。そして、脳死状態になっても脊髄は生きています。だから、脳死の人にも脊髄反射はあると言われています。脊髄反射があったとしても、それは脳が生きていることを示すものではありません。しかし、「ラザロ徴候」(ラザロとは新約聖書に出てくる人物で、死語4日後のラザロをキリストが奇跡的に蘇らせたという、逸話にちなんで名づけられた)と呼ばれる脊椎反射による脳死の人の自発運動を見てしまうとなおさら「死」を受け入れられなくなってしまいます。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

      目次
    はじめに
    事故と脳死
    臓器移植法
    脳死と従来の死
    遷延性意識障害(植物状態)
    臓器移植
    意思表示カードの普及
    意思表示カードとは
    ドナー登録における十五歳の壁
    レシピエントとドナー
    日本人の遺体に対する感情
    おわりに
    参考文献
    はじめに
     この夏、私は自動車の免許を取得するため、自動車学校に通うことに決めました。自動車学校に通うようになり、ひとつ気になるものを目にするようになりました。
     私の通う自動車学校にはある掲示がされています。それは「今年の交通事故死亡者××人」というものです。今までも新聞やテレビでこのような報道を耳にしたことはありますが、あまり自分とは関係がないように思え、特に気にとめたことはありませんでした。しかし自分がこの先、免許を取得し、車を運転するようになると必然的に交通事故への危険性が高まります。死亡事故への恐怖が身近なものとなるのです。
    しかし最近では交通事故での死者は減少していると言われています。こうした報道を聞くと、私達はあたかも交通事故自体が減少しているという錯覚をしてしまいます。しかし、事実は逆なのです。事故の総数は増加傾向にあります。ところが現...

    コメント2件

    3 購入
    生命の尊さが意義深い。
    2006/06/24 13:27 (18年6ヶ月前)

    economy1985 購入
    命の大切さを考えさせられました
    2006/08/24 6:24 (18年4ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。