Pictorial turn、21 世紀の芸術について
映像表現の多様化と先鋭化
今日、映像表現がさまざまなツールを利用して可能になったことで、これまで以上に芸術にお
いて視覚的な要素を取り入れた創造物が増加している。このことにより視覚的な表現手段が増加
することにより、特定の目的に限定した手段を選択することが可能になり、効果的に人間の感情
にストレートに訴えることが可能になったといえよう。しかし、これは逆にいえば芸術作品に対
する印象をこれまでの「自由な解釈」から「限定した理解」へと変化させてしまう可能性をはら
んでいるといえるのではないだろうか。
1つの芸術作品から様々な理解が可能であるとすると、それは抽象的なものであればあるほど
視聴した側の経験や感性によって様々な解釈が発生する。「芸術を鑑賞するということ」を鑑賞
する側の発想を膨らますことであると考えた場合、先鋭化した表現はより直接的に鑑賞する側の
感情に訴えられることが可能であり、そこから想像や印象を膨らませるのではなく消費としての
芸術作品としてその瞬間を共有するモノへと変化していくことを意味している。つまり 21 世紀
の芸術表現としての Pictorial turn(視覚への回避)とは、よりストレートに見る側の感情へ訴
えることが可能になる一方でその鑑賞スタイルを変化させ、芸術の賞味期間を短くしている可能
性がある。
21世紀の芸術に対して考えること
芸術をコミュニケーションの一種と考えた場合、この鑑賞スタイルの変化は表現したいメッセ
ージを誰にどの程度の時間で伝えたいかという基本的なコンセプトの変化を表している。つまり
視覚を中心とした表現を 21 世紀の新しい手段を利用して行う場合、その内容によって慎重に選
択し、制作する必要がある。動画など情報量の多い表現は視聴者の創造を狭める可能性があるが、
作り手のイメージをよりダイレクトに伝えられる一方で、同様に情報量の多いメディアの中で芸
術表現としての存在感を表すためにより過激な表現を目指す願望を増大させ、結果として芸術を
鑑賞する側を限定することになってしまう。
21 世紀の芸術とは多くの表現方法を目的に応じて選択できることが可能になった一方で、その
使い方によっては表現できるフィールドと時間を自らの手で制限してしまう可能性を持ってい
る。芸術に対する鑑賞する側に多様化と創造性の向上を求める表現を行いたい場合には、視覚表
現については最先端を常に追求し先鋭化するのではなく、どのように感じてもらえるかを考慮し
た手段を用いて創作活動を行うことが大切であると考える。