1919年1月18日パリ講和会議が32カ国の参加のもとに開かれた。パリ講和会議の基礎となった原則はアメリカの大統領ウィルソンが大戦中に発表した十四カ条である。主な内容は秘密外交の廃止・海洋の自由・関税障壁の撤廃・軍備縮小・植民地問題の公正な解決・ヨーロッパ諸民族の民族自決・国際平和機構の設立である。
アメリカのウィルソン大統領はドイツを寛大な条件で許すべきと考えたが、フランス、イギリスが対独強硬策を唱え、結局最大の目的であった国際連盟規約を条約に盛り込むために譲歩・妥協し十四カ条の原則は部分的にしか実現しなかったのだ。
1919年6月28日連合国とドイツの間にヴェルサイユ条約が調印された。そもそもこの条約にはアジア・アフリカの解放という大義名分が掲げられていたのだが、実際には、戦勝国の賠償規定であった。ドイツには、ドイツ商船隊の譲渡、全植民地の放棄、植民地における鉄道を含む政府財産の無償没収、個人・法人の在外財産の無償没収、ザール炭田のフランスへの引き渡し、シュレジェン炭田のポーランドへの引き渡し、ラインラントの非武装化、戦艦・潜水艦の保有禁止、陸軍兵力の制限(10万)、参謀本部の解...