言語は発生以来つねに変化し続けているため、一時点において誤用とされていた変化も通時的に見るとそれが正しい意味とされる語句・文法が多くある。この現象は現在にも同様であり、誤用であると批判する意見がある一方で、誤用とみなされているものがたまたま現在、変化期にさしかかっているだけであり、批判には当たらないとの反論もある。これら両論に着目しつつ、現在の言語変化の実際を論述する。
音声レベルでは「教科書」「テキスト」といった、主に児童生徒、また学生が頻繁に使う言葉のアクセントのゆれが挙げられる。本来「教科書」は中高型、「テキスト」は頭高型のアクセントであったが、最近ではどちらの語も平板化アクセントが聞かれるようになっている。この平板化の原因について、井上史雄氏は「……専門用語をどのアクセントで発音するかで、メンバーの仲間意識が分かることにもなる。同じ平板アクセントで発音すれば同じ仲間だが、別のアクセントを使うと異質扱いされることになる。アクセントが『集団語』の役割をになうわけである」と述べている。たしかに先に挙げた語は一定の年齢間、特に若者の間で多く使われる語であり、児童生徒、学生間の専門語あるいは符丁と言えなくもない。またビデオやDVD、インターネットの普及によって音声・画像媒体から多くの平板型アクセントを吸収しているのも若年世代の特徴と言えよう。この他に「おきべん」(置き勉=勉強道具を家に持ち帰らず、学校に置きっぱなしにすること)、「のこれん」(残練=部活動などで強制的に残されて練習をさせられること)などといった略語、俗語の類にも平板化が見られるのも特徴であろう。
文法レベルでは「とんでもございません」という表現を考えたい。日常の会話レベルでもよく耳にする表現であるが、文法的に考えるとつじつまが合わない部分がある。この語語の成り立ちに先行して「とんでもない」という形容詞があり、「ない」の部分を丁寧語「ございます」の否定形「ございません」に改め、謙虚さを強めた表現にしたものと考えられる。しかし「とんでもない」は一語の形容詞であり「はかない」「情けない」「はてしない」同様、「ない」は否定の助動詞ではない。否定の助動詞は未然形接続であり、「立たない」(タ行五段活用動詞未然形+否定の助動詞)・「寝ない」(ナ行下一段活用動詞未然形+否定の助動詞)のようにも使われる。また否定の形容詞と考えても「美しく+ない」(形容詞「美しい」の連用形+否定形容詞「ない」)・「潔く+ない」(先例同様)
「休み+が+ない」(名詞+格助詞+否定形容詞)のように連用形接続、あるいは名詞に格助詞あるいは副助詞を伴う接続形になる。
しかし「とんでもない」の場合は「とんでも+ない」と考えるのは無理がある。文法的にも「とんでも」は用言、また「名詞+格助詞および副助詞」とは見なせないため、「ない」が否定の助動詞・否定の形容詞と考えることが不可能だからである。
先例の「はかない」に「はかございません」、「はてしない」に「はてしございません」、「情けない」に「情けございません」といった表現が対応しないことからも分かる。
この現象は形容詞を、特に会話で伝える場合、適当な丁寧表現が見当たらないために起きたものと考えられる。本来形容詞の丁寧表現は「形容詞の連用形の音便形+ございます」(「はかのうございます」・「はてのうございます」・「情けのうございます」)があったが、現在においてはほぼ廃れてしまった表現といえよう。そのため他の丁寧表現を探すことになるが、「とんでもないです」では「形容詞の終止形+です」が
言語は発生以来つねに変化し続けているため、一時点において誤用とされていた変化も通時的に見るとそれが正しい意味とされる語句・文法が多くある。この現象は現在にも同様であり、誤用であると批判する意見がある一方で、誤用とみなされているものがたまたま現在、変化期にさしかかっているだけであり、批判には当たらないとの反論もある。これら両論に着目しつつ、現在の言語変化の実際を論述する。
音声レベルでは「教科書」「テキスト」といった、主に児童生徒、また学生が頻繁に使う言葉のアクセントのゆれが挙げられる。本来「教科書」は中高型、「テキスト」は頭高型のアクセントであったが、最近ではどちらの語も平板化アクセントが聞かれるようになっている。この平板化の原因について、井上史雄氏は「……専門用語をどのアクセントで発音するかで、メンバーの仲間意識が分かることにもなる。同じ平板アクセントで発音すれば同じ仲間だが、別のアクセントを使うと異質扱いされることになる。アクセントが『集団語』の役割をになうわけである」と述べている。たしかに先に挙げた語は一定の年齢間、特に若者の間で多く使われる語であり、児童生徒、学生間の専門語...