子供への教授において、子供ひとりひとりの理解力を正確に把握しているかどうかは、円滑に授業を行う上で重要であると言える。
「理解力」は一般に「物ごとの意味を知り分ける能力」※1と意味づけられるが、教育現場では「教科における問題と解答の因果関係、正誤や道徳的善悪を知り分ける能力」と定義されよう。たとえば数学では、y=axは比例式であり、1冊600円の本を5冊買った総額を求めるのになぜ比例式が用いられるか、また道徳では、なぜ人を殺すことはいけないかを説明できる能力が、学校教育での理解力と言えよう。また理解力について考えるとき、次のことを留意しなければならない。
ひとつに「知能」を心理学的視点から把握することである。「知能」の語は、文字や記号を通し論理的思考を行う「抽象的能力」、新たな知識を吸収しながら目標を達成していき、問題解決の能力を身につける「学習能力」、自然・社会環境に適応し自己を調和させ、その中で自己欲求を充足させる「適応能力」、そして知能検査などで数値化される「操作的定義」に分類される。これらはいずれも個人差があることを留意すべきである。また知能は子供の発達段階で大きく変化することや、周囲環境の影響が大きいことも理解する必要がある。前者についてはサーストンの多因子説に基づいた場合、知覚因子は12歳、空間因子・推理因子は14歳、数因子・記憶因子は16歳に80%の成熟を迎えるため、教授対象に応じて理解可能な内容か否かを慎重に判断しなければならない。また後者は保護者との関係や兄弟姉妹の有無、世帯構成や養育環境などを把握した上で、子供の性格を見極める必要がある。このように知能は個々多様であるため、教授に際し最も有効な方法を考える必要がある。
たとえば整数の四則計算はできるが、分数でつまずく子供は小学校の学習内容に戻る必要があるし、「-5-3」を「-2」と答える子供は数直線を用いた指導によって正答に導くことができよう。一斉授業で理解不足の生徒にはプログラム授業でのフォローが重要となる。プログラム授業を行う際に直線型・分岐型のいずれを用いるかは子供の理解度によるため、教師は子供の現状理解度を常に把握している必要がある。また学習障害・アスペルガー症候群の子供には、その子供の特性を最大限引き出しつつ、達成動機を高めていく教授が有効である。学習障害では多動・多弁・注意散漫・興奮・固執など、アスペルガー症候群では情緒不安や他者とのコミュニケーション障害や固執など問題点とされるが、子供の特性を生かすという視点から考えると「固執」=「ある領域での優れた集中力」ととらえることができる。興味関心・好奇心が一方向に向きやすいため、基礎的な学力の定着には、根気よく理解することの意義を知らせ、その上で達成動機を高めていく必要がある。「困難な課題よりもむしろ無理なく解決できる課題の方に注意を向けさせることが望ましい。(中略)不足している基礎的学習能力が何であるのかを詳細に調べ、その能力を補充するための治療教育を長期間に渡って継続する必要がある」※2との島田氏の指摘はもっともであると考える。
ふたつに「学力」の判断についてである。学力を知識学力・技術的学力・態度的学力に三分して考えた際、知識学力は正誤の判断、論理的思考による根拠の推定など、ペーパーテストで数値化されやすいが、技術的学力では技能や表現、態度的学力は態度・興味・関心を判断するため、学力として見えにくい特徴がある。そのため理解の到達を見る手段として、ペーパーテストを用いる方法は一定の限界があると認識しなけれ
子供への教授において、子供ひとりひとりの理解力を正確に把握しているかどうかは、円滑に授業を行う上で重要であると言える。
「理解力」は一般に「物ごとの意味を知り分ける能力」※1と意味づけられるが、教育現場では「教科における問題と解答の因果関係、正誤や道徳的善悪を知り分ける能力」と定義されよう。たとえば数学では、y=axは比例式であり、1冊600円の本を5冊買った総額を求めるのになぜ比例式が用いられるか、また道徳では、なぜ人を殺すことはいけないかを説明できる能力が、学校教育での理解力と言えよう。また理解力について考えるとき、次のことを留意しなければならない。
ひとつに「知能」を心理学的視点から把握することである。「知能」の語は、文字や記号を通し論理的思考を行う「抽象的能力」、新たな知識を吸収しながら目標を達成していき、問題解決の能力を身につける「学習能力」、自然・社会環境に適応し自己を調和させ、その中で自己欲求を充足させる「適応能力」、そして知能検査などで数値化される「操作的定義」に分類される。これらはいずれも個人差があることを留意すべきである。また知能は子供の発達段階で大き...