『ある英語教師の日記』の記述において、八雲の日本人に対しての理解の幅は非常に広いものと感じられる。松江での英語教師としての生徒とのやり取りを通して、その理解はさらに深く、また緻密なものになっていることもうかがえる。その理由として八雲がたいへん親日派で、彼の周りに起こる事象に対し好意的に、また強い興味関心を抱きながら周囲の人間と接している記述から知ることができよう。八雲は日本文化に造詣が深かったのみならず、自身の目や肌で、象徴としての日本だけではなく、日常一般の日本までも積極的に感じ取っていたのである。これらは生徒たちとの交流の中で、彼らが古美術品を見せ八雲の元を訪れたことや、天長節にご真影に敬礼する八雲に興味を持って質問をする生徒との応対の姿などからも見ることができる。
松江県庁で県令・籠手田安定と対面した際の八雲の記述に「(籠手田は)温和な力と寛大な友愛の心とを多分にあらわしている―仏陀の慈顔というのがまさにこれだ」と、来松江以前に何度も訪れた神社仏閣で直接に見た仏像の穏やかな表情を想起させている。また籠手田が八雲に、出雲の歴史について知るか否かを尋ねた際には、神道と出雲の伝説に...