鈴木三重吉は、大正七年に児童向け雑誌の「赤い鳥」を発行した。この「赤い鳥」は、 世界的な自由主義志向と児童の個性尊重を唱える教育思潮を背景に、童心主義に立って児童文学、児童文化の質的向上を意図した文学運動であった。
この雑誌は、大正七年から昭和十一年八月まで創刊され、一九六冊を刊行した。しかし、経済上の問題で、昭和四年三月から昭和六年一月まで休刊を余儀なくされた。しかし、この雑誌は大正期を飾ったばかりではなく、近代児童文学史上に、偉大な足跡を残したのである。真の近代児童大学は、ここに開花したのである。
この雑誌の創刊は、初めてわが子を得た三重吉がその子に与えるべき文学的な児童雑誌のないのを慨嘆して自ら着手したものと一般的にいわれている。しかし、時は日本に近代市民階層はようやく誕生した大正中期であり、本質的には、その市民階層の児童文学的要求が三重吉を動かしたものとみるべきであろう。
そして、 「赤い鳥」を創刊するに当たって、「童話と童謡を創刊する最初の文学的運動」と題するプリントを配り、積極的な身構えを示した。彼は、まず初めに「私は、世間の小さな人たちのために、芸術として真価ある純麗な...