「変身」を読んで
この物語を読み終えて感じたのは、「あれ? ハッピーエンドで終わるのかな?」というものだった。まるで憎き仇を討った後や何か大きな試練を乗り越えた後の疲労感と爽快感が、物語の最後におけるザムザ家の様子から感じられる。しかしながら、この物語を形作っているものは、ある家族の兄が毒虫に変貌し、終には死んでしまうというものであり、これ自体は紛れもない悲劇である。これを主題として物語を作ろうと思えば、いくらでも悲劇的な話が作れるだろう。科学者が実験の失敗で蝿男になってしまう「ザ・フライ」という映画も、完全に蝿化してしまった男が恋人に自分を銃で撃たせるというラストであり、愛情を絡めて悲劇的に描かれている。この物語においても、家族が涙する中、医者がさじを投げてしまう原因不明の病気でグレゴールが死んでしまうという最後にすることもできたはずである。しかし、そのような主題をそのまま受け取ったような展開にしなかったところがこの話の最大の面白さだと思う。
この物語を終えることで、グレゴールの父と母と妹は三人とも仕事を持ち、自立しつつも三人で協力し合う良い家庭を築くことができた。これは以前の家庭状態を考えると大きな進歩である。父親は退職してからの五年間で太り老衰し、寝てばかりでろくに活動ができなくなってしまっていた。母親は一日おきに呼吸困難になるほどの重度の喘息持ちであるし、父親の財産状態の説明を理解するのに苦心していることから頭を使うことも得意ではないように思われる。妹は典型的な箱入り娘であり、バイオリンを弾くことができることからグレゴールはなけなしの金を切り詰めて音楽学校に行かせる気だったというくだりも何箇所かあるが、これも三人の下宿人が演奏に居合わせたとき退屈そうな態度をとっていたことからそれほどの実力でないと思われる。つまりこの三人は自分たちで生きていく十分な力を持っていなかったのである。それゆえに家計を支えている立場のグレゴールは、そのことに対して誇りに思うと作品の中でも何度も書かれている。その家計を支えていたグレゴールが死ぬ、半ば殺されることで三人は次のステップに進むことができたわけだが、何とも理不尽に思える。グレゴールがかわいそうではないか。
ここでグレゴールについて考えてみる。このグレゴールという男は自尊心が高く、気に入ったものは過大評価する傾向があるように思える。妹のギターの評価がそうであるし、グレゴール自身の仕事振りに対しての評価も疑問を感じる。本人は五、六年で借金を返すつもりであり、妹の音楽学校の費用を工面するつもりではあるが、支配人の話によるとここのところ業績不振のようである。ということはグレゴールの存在は家庭にとって大して役にたっていなかったわけであり、この自尊心の高い男の存在が他の家族の自立を妨げ、他者への依存を助長していたのなら返って害になっていたことになる。
だから毒虫になってしまったのではないか。いわばグレゴールは文字通りこの家の毒虫であったわけだ。このまま毒虫を野放しにしておいては、グレゴールはおろか家族全員の未来が危うい。少しでも家族が幸せになるための手段がこの物語であったのである。グレゴールがただ死ぬだけでは、家族は悲しみのどん底に突き落とされ、最悪後を追ってしまうかもしれない。毒虫という未知なる存在を前にして身の危険を感じる緊張感のある状況下におかれたからこそ、苦しくはあるが、再出発への準備をしっかり行うことができたのである。
グレゴールは毒虫になる以前は、自尊心が先立ち、家族への貢献はそれほどではなかったかもしれないが、毒虫となり憎まれ役となることで家族に最善の結果をもたらすことができたと思う。もし毒虫になっていなければ、グレゴールが解雇され家族が路頭に迷うという未来にもなりえた。彼は無意識的にこうした家族の未来を察知し、自身の姿を毒虫に変えたのかもしれない。自己犠牲の尊さを感じられる物語でした。