葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」論
目次
〈一〉はじめに 2
〈二〉女工の手紙における矛盾 6
・女工に潜む知性 8
・見たはずのない恋人の死 11
・女工の行動の不思議 13
〈三〉女工の手紙が与えた影響 18
・松戸与三の現状と女工の手紙に対する疑念 19
・松戸与三のその後 24
〈四〉葉山嘉樹の辿った軌跡 28
・中学卒業からマドロス時代まで 28
・労働運動を経て監獄へ 31
・出獄から文壇へ 34
〈五〉おわりに 37
〈一〉はじめに
「セメント樽の中の手紙」は原稿用紙にすると十枚足らずの短編であるが、中学校・高等学校の教科書にも採用されるくらいに広く親しまれている作品である。教材として扱われる際にはプロレタリア文学作品という枠組みで教えられ、「労働者の連帯」を主題として読まれる場合が多いが、先行研究を見てみるとこの作品の主題はそれだけではないことが分かる。この作品を一読した時に最も印象に残るのは、恋人を失った女工の悲痛を訴えた手紙である。作品の構成としては主人公である松戸与三の描写に始まり、女工の手紙を挟んでまた松戸与三の描写にもどるといった三部構成であるが、その中でも最も読者の心を掴むのは、第二部の女工の手紙の描写である。主人公である松戸与三の姿はいつの間にか読者の中から消えてしまい、恋人を失って悲嘆にくれる女工の輪郭だけがはっきりと頭の中に残る。では、どうして女工の手紙は読者にそのような強烈な印象を与えているのだろうか。それは恐らく、手紙の中にある矛盾や非現実性によるものである。女工の手紙には、現実では起こり得ないような出来事が描かれているし、それだけでなく、明らかに事実と矛盾すると思われる記述も多数存在する。それらの非現実性が読者に大きな疑問を投げかけ、読者の心に女工の手紙を印象づけるのではないだろうか。今回私は、女工の手紙における矛盾という点に注目して、その矛盾の役割や意味を考察する事で、女工の手紙と松戸与三の変化との関係性を明らかにしていきたいと思う。
まず、始めに作者の経歴と作品の背景について触れておくことにする。作者である葉山嘉樹は、一八九四年(明治二七年)に福岡県京都郡豊津村に生まれた。家計は比較的裕福であったが、十三歳の時に両親が離婚するなど愛情に飢えた幼少時代を送ったようである。彼の作品である「呪はしき自伝」の中に「母は私の十三の年だったかに追はれて家を出た。その後へ後妻めいた者が来たが、私は徹底的に彼女と闘った」(注1)との記述があるように、両親の離婚後にやってきた継母と嘉樹はうまくいかなかったらしく、自分に対して少しも愛情を表現してくれない父と、馬の合わない継母との間で少年期を過したようである。そのせいかどうかは分からないが、葉山は中学校時代に一つ年下の落合サカエと駆け落ち騒動を起こすなど、とても早熟な性質であった。中学校を卒業してからは、早稲田大学高等予科文科に入学するも、学費未納でその年の中に除籍になり、水
葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」論
目次
〈一〉はじめに 2
〈二〉女工の手紙における矛盾 6
・女工に潜む知性 8
・見たはずのない恋人の死 11
・女工の行動の不思議 13
〈三〉女工の手紙が与えた影響 18
・松戸与三の現状と女工の手紙に対する疑念 19
・松戸与三のその後 24
〈四〉葉山嘉樹の辿った軌跡 28
・中学卒業からマドロス時代まで 28
・労働運動を経て監獄へ 31
・出獄から文壇へ 34
〈五〉おわりに 37
〈一〉はじめに
「セメント樽の中の手紙」は原稿用紙にすると...