ロマン主義とは何か

閲覧数4,446
ダウンロード数13
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    ロマン主義とは何か、またその担い手たちはどう
      いう意味でロマン主義的なのかをそれぞれ述べよ。
     ロマン主義とは、18世紀の終わりから19世紀の始めにかけてヨーロッパで主にイギリス、ドイツ、フランスを中心に展開された文学や芸術、思想などの自由とその解放を願う風潮であり、合理化の進んでいく社会に抗うように想像力や感性といった抽象的な物の優越を肯定し、古典主義の形式を否定して自己の自由とその解放を追及しようとした。大変扇情的な風潮で、絶望的・情熱的な愛、自殺の決断や超自然及び自然への憧れ等を主題とした、極めて主観的で感受性の鋭敏さを伝える作品が多い。
     ヨーロッパのロマン主義の背景には、自由・平等・博愛を掲げたフランス革命の生んだ恐怖政治やナポレオンという独裁者の出現、イギリスでは産業革命がある。産業革命によって、機械の導入、鉄道や蒸気船の誕生など徹底的に合理性が追求され、イギリスの社会情勢は大きく変った。人々の生活は激変の一途を辿り、特に農村の手工業は大打撃を受け、農民が大都市に労働者として流入して貧民街を構成するようになった。自然の破壊や物質主義に翻弄する人々の姿を見て、特に詩人たちは心を痛めた。エリオット(1781-1849)は、1815年の穀物輸入を制限する穀物条例廃止運動に対して『穀物条例歌集』を出し、労働者の間で広く読まれた。ロマン主義は、急速な社会変化によって生じた複雑な矛盾を反映して生まれた、産業革命と重商主義への反動と捉えることも出来る。
     ロマン主義は、古典主義に対する文学上の革命でもあった。古典主義の特徴が法則の肯定なのに対し、ロマン主義の特徴は法則の否定であり、個性の美を追求し、古典主義の様式からの自由を求めた。ロマン主義にとって法則はすべて悪であり、個人の想像力にのみ従う制限のない自由を主張するものであったため、ロマン主義の作品に決まった法則などはないが、いくつかの共通項を見出すことはできる。第一に、中世趣味や異国情緒などを題材にし、時間的空間的に遠いものに対する憧れがあること、第二に、自然は神秘化され超自然は自然のものと化す自然と超自然に対する驚異と熱愛があること、第三に、当時の縛りから脱する革命的精神である。これらは現実逃避ではなく、新たなる現実と現代へと繋がる物を発見しようとする現実主義的なものであった。人間の感情的、非合理的な側面に目をむけ、自分のアイデンティティとなるものを想像力を駆使し追い求め、その想像力こそがロマン主義の鍵となったのである。
     ロマン主義の代表的な作家として、まず、バーンズ(Robert Burns, 1759-96)はスコットランド方言で自然と人間への愛情に溢れる素朴で情熱的な詩を唄い、その自然な感情の発露はロマン主義の黎明を告げている。 
     ブレイク(William Blake, 1757-1827)は合理主義に抗い、個人を束縛するものはすべて悪であると考え、産業革命による既製品の大量機械生産は、個人の自由な発想と手仕事を奪うもの以外の何者でもないとした。彼は自然界の事物を象徴化する卓越した才能を発揮した。彼の作品は難解な神話と象徴に溢れており、想像力を駆使して見る夢幻のような世界を詩の中に表現している。また、詩集はすべて妻とエッチングで彫って印刷していたところに、文学と美術を結合させた複合芸術性を見出すことができ、イギリス・ロマン主義の複合性の一種先駆ともいえる。
     ワーズワス(William Wordsworth, 1770-1850)は超自然的なものを題材とした詩を

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

      ロマン主義とは何か、またその担い手たちはどう
      いう意味でロマン主義的なのかをそれぞれ述べよ。
     ロマン主義とは、18世紀の終わりから19世紀の始めにかけてヨーロッパで主にイギリス、ドイツ、フランスを中心に展開された文学や芸術、思想などの自由とその解放を願う風潮であり、合理化の進んでいく社会に抗うように想像力や感性といった抽象的な物の優越を肯定し、古典主義の形式を否定して自己の自由とその解放を追及しようとした。大変扇情的な風潮で、絶望的・情熱的な愛、自殺の決断や超自然及び自然への憧れ等を主題とした、極めて主観的で感受性の鋭敏さを伝える作品が多い。
     ヨーロッパのロマン主義の背景には、自由・平等・博愛を掲げたフランス革命の生んだ恐怖政治やナポレオンという独裁者の出現、イギリスでは産業革命がある。産業革命によって、機械の導入、鉄道や蒸気船の誕生など徹底的に合理性が追求され、イギリスの社会情勢は大きく変った。人々の生活は激変の一途を辿り、特に農村の手工業は大打撃を受け、農民が大都市に労働者として流入して貧民街を構成するようになった。自然の破壊や物質主義に翻弄する人々の姿を見て、特...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。