私の生涯教育 沖縄県における男女共同参画社会実現に向けての取り組み
1 生涯学習の具体的事例
那覇市は、沖縄県の県都として、 人口30万人余を有する政治・経済・文化の中心地です。人口密度が高く、その狭い姿勢に中小零細企業が多く、総就業人口に占める女性の就業割合は増加傾向にあります。21世紀をむかえ、 那覇市は、 沖縄都市モノレールを核としたまちづくりや中心市街地の再開発及び新都心の建設事業、教育福祉事業など、 これまで以上に市民本位の諸施策を展開し、創造・共生そして交流のまち・那覇の実現を目指しています。
戦後那覇は、米軍の全面占領下にあり、立入禁止区域となっていましたが、1945年(昭和20年)11月産業復興の名目で陶器製造産業先遺隊が壺屋一帯に 入域し、1946年(昭和21年)1月3日付けで糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇復興が始まった。その後民政府などの中央機関が漸次那覇に移転 し、1949年(昭和24年)12月9日日米軍政官シーツ少将は、那覇を沖縄の首都とすると発表。その後、旧那覇市街が漸次解放されるようになり那覇は、 再び繁栄をとりもどしました。
1972年(昭和47年)5月15日、多年の要求であった祖国復帰が実現し、日本国憲法が適用される中で、那覇は沖縄の県都として都市基盤が一層整備され、今日人口30万、市域面積38.63k㎡の近代都市となっています。
現在、1998年(平成10年)に制定された第3次総合計画「創造・共生 そして交流のまち・那覇」に沿って、 21世紀にふさわしい都市の実現に取り組んでいます。
少子高齢化の進展や高度情報化などの社会状況の変化に対応し、那覇市では、平成10年に第2次男女共同参画計画「なは男女平等推進プラン」を策定しました。
【なは男女共同参画都市宣言】
1. 私たちは、性別にとらわれず一人ひとりが自立し、個性と能力が響きあうまちをめざします。 1. 私たちは、男女がともに仕事、家事、育児、介護を分かちあい、責任を担いあえるまちをめざします。 1. 私たちは、政治的、経済的、社会的、文化的なあらゆる分野に男女がともに等しく参画できるまちをめざします。 1. 私たちは、互いの性を尊重しあい、対等なパートナーとして認めあい、協働できるまちをめざします。 1. 私たちは、地球環境を守り、世界へ平和を発信し、交流の輪を広げるまちをめざします。 1998年9月28日 那覇市
2 活動内容
1976年に始まる国連婦人の10年を契機とした男女平等を求める世界的な動きの中で、那覇市においては1988年に女性行動計画を策定し、これまでの10年間、さまざまな施策を積極的に展開してきました。
しかし、男女差別の根源である固定的な性別役割が根強く残る慣習や社会制度を変えていくのは容易ではありません。近年、少子・高齢化の急速な進行や女性労働の増加など社会環境のさまざまな変化とともに、私たちの価値観やライフスタイルも多様化してきています。 このような時代潮流を見据えて、今年4月に策定した本市の第3次総合計画では、基本構想実現の方法の一つとして「男女共同参画」を掲げています。これからの21世紀を切り開いて行くためにも、女性の感性や活力が大きく期待されているからです。 この第3次総合計画と時期を同じくして、女性行政の基本計画である「第2次那覇市女性行動計画-なは男女平等推進プラン-」を「那覇市女性問題会議」の提言を基に策定いたしました。市民一人ひとりが生き生きと、豊かさを実感できる男女共同参画社会の実現をめざし、性別
私の生涯教育 沖縄県における男女共同参画社会実現に向けての取り組み
1 生涯学習の具体的事例
那覇市は、沖縄県の県都として、 人口30万人余を有する政治・経済・文化の中心地です。人口密度が高く、その狭い姿勢に中小零細企業が多く、総就業人口に占める女性の就業割合は増加傾向にあります。21世紀をむかえ、 那覇市は、 沖縄都市モノレールを核としたまちづくりや中心市街地の再開発及び新都心の建設事業、教育福祉事業など、 これまで以上に市民本位の諸施策を展開し、創造・共生そして交流のまち・那覇の実現を目指しています。
戦後那覇は、米軍の全面占領下にあり、立入禁止区域となっていましたが、1945年(昭和20年)11月産業復興の名目で陶器製造産業先遺隊が壺屋一帯に 入域し、1946年(昭和21年)1月3日付けで糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇復興が始まった。その後民政府などの中央機関が漸次那覇に移転 し、1949年(昭和24年)12月9日日米軍政官シーツ少将は、那覇を沖縄の首都とすると発表。その後、旧那覇市街が漸次解放されるようになり那覇は、 再び繁栄をとりもどしました。
1972年(昭和47...