ボランティア活動の自発性とボランティア活動を推進するNPOの関係について述べよ。
これからの社会福祉の充実を考えた場合、ものやお金などの物質的な援助よりも、むしろ人間らしく生きがいをもって生きるための、教育、文化、体育などの対人的サービスの援助が求められることになるだろう。社会福祉ニーズとして求められるものが、単なる金品の援助ではなく、人間的で心の通ったものであるとすると、国や行政が実施する福祉プログラムだけではそのニーズに十分に応えることはできない。なぜならば、国や行政の福祉への努力は、金品の援助や人材確保といった面では貢献しやすいが、その人材の精神的な部分や、福祉援助に対するやる気への配慮においては限界があるからである。また、行政の取り組みは、制度として長期的に継続できるかが重要であり、さまざまな人たちの意見を聞き、どこからも批判が出ないようにプログラムが組まれる。そのため、サービスの柔軟性や機敏性という面で、問題が生じやすい。そこで、自発性・柔軟性を基本のエネルギーとする、「ボランティア活動」が必要となるのである。
ボランティア活動とは、「個人の自由な意思に基づき、金銭や名誉等の見返りを求めず、何らかの重荷を背負っている他者に対して、その相手の了解のもと、その重荷を取り除くために、理解と支援の手を差し伸べることによって、ともに人間らしく生きようとする連帯の活動である」といえる。それは決して、「ある者がない者にしてあげる」とか「~のために」というような上下関係ではなく、お互いに対等な「~とともに育っていく取り組み」である。つまり、お互いに幸せに暮らしていくため、ともに人間らしく生きていくために、協力しあう活動である。
ボランティア活動は、まず行動を起こす自分自身の心のあり方、つまり自分自身の心に正直に行動することから始まるものである。他人の意見に拘束されるのではなく、あくまで個人の意思により、考え、発想し、行動するという自発的な行為、つまり「自発性」により支えられているものであるといえる。しかし、自発性というのは、個人個人の主観的意識に関わることであり、どこからを自発的とするのかは、簡単に判断することはできない。その人の所属する組織の取り決めなどによって活動に参加する場合や、知人・友人等の影響により活動に参加する場合もあるだろう。その点で、この自発性をどのように捉えるかは困難であるといえるが、通常は、「権力関係や利害関係から一定の距離をもって、自主的に行動する姿勢」というように定義できる。
このボランティア活動は、自発的であるがために、個々の取り組みに違いがあり、そのため多様な活動ができるという大きな特徴を持っている。既成概念に捕らわれずに、個人個人の考えや発想によって、自由で先駆的な取り組みを展開することができるのである。まさにこの「自発性」こそが、ボランティア活動のもっとも大切な要件であるといえるだろう。したがって、国や行政の取り組みが「正しさ」や「公平さ」を求められるのに対し、ボランティア活動とは、「多様性」や「先駆性」が求められる活動であると理解する必要がある。
また、ボランティア活動の二次的な要件として「無償性」「継続性」も挙げられる。個人がボランティア活動を展開する場合、あくまで無償が基本となる。もっとも最近は、活動にかかる交通費の補助や、お弁当程度の食事代を支給するケースもあるが、これはボランティア活動を行う人間自身が求めるものでは決してなく、あくまでも、ボランティアを受ける側や活動を主催する側の「気持ち」のようなもの、と捉え
ボランティア活動の自発性とボランティア活動を推進するNPOの関係について述べよ。
これからの社会福祉の充実を考えた場合、ものやお金などの物質的な援助よりも、むしろ人間らしく生きがいをもって生きるための、教育、文化、体育などの対人的サービスの援助が求められることになるだろう。社会福祉ニーズとして求められるものが、単なる金品の援助ではなく、人間的で心の通ったものであるとすると、国や行政が実施する福祉プログラムだけではそのニーズに十分に応えることはできない。なぜならば、国や行政の福祉への努力は、金品の援助や人材確保といった面では貢献しやすいが、その人材の精神的な部分や、福祉援助に対するやる気への配慮においては限界があるからである。また、行政の取り組みは、制度として長期的に継続できるかが重要であり、さまざまな人たちの意見を聞き、どこからも批判が出ないようにプログラムが組まれる。そのため、サービスの柔軟性や機敏性という面で、問題が生じやすい。そこで、自発性・柔軟性を基本のエネルギーとする、「ボランティア活動」が必要となるのである。
ボランティア活動とは、「個人の自由な意思に基づき、金銭や名誉等...