2. 岩倉使節団の目的は以下の3つである。1つ目に、条約改正の準備交渉である。日本が改正を望む条約の1つに、幕末時代、1854年に締結された、日米和親条約がある。この条約には、「片務的最恵国待遇」という規定がある。これは、日本がアメリカ以外の第三国と、相手国にとって有利な条約を結んだ場合、それが自動的にアメリカにも適用され、さらに、その同様の待遇を日本に対してアメリカが負う義務が無いという片務的なものである点で、不平等であった。準備交渉は、外国側が日本を同等の立場としてまだ見ていなかったこと、そして、五傍の掲示によって、キリスト教を禁じていたこともあって、成果をあげることはできなかった。
岩倉使節団の成果についての考察
1. 岩倉使節団とは、明治 4 年から6 年にかけて行われた明治政府の米欧視
察団のことである。岩倉具視を大使とし、大久保利通や伊藤博文らを副使
とする50 人ばかりのエリート集団で、欧米 12 ヶ国を回覧し、世界一周をし
た。
2. 岩倉使節団の目的は以下の 3 つである。1 つ目に、条約改正の準備交渉
である。日本が改正を望む条約の1つに、幕末時代、1854年に締結された、
日米和親条約がある。この条約には、「片務的最恵国待遇」という規定があ
る。これは、日本がアメリカ以外の第三国と、相手国にとって有利な条約を
結んだ場合、それが自動的にアメリカにも適用...