戦後日本外交史
サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカの経済的・軍事的援助を取り付けた。その一方で、防衛力の強化を義務づけられたため、保安隊を自衛隊に発展させ、自衛隊を管理・運営する防衛庁を設けた。
戦後日本外交史
本稿では、サンフランシスコ平和条約発効後から日中平和友好条約締結までの外交の変遷について、歴代内閣の外交政策を確認しつつ見ていきたい。
サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカの経済的・軍事的援助を取り付けた。その一方で、防衛力の強化を義務づけられたため、保安隊を自衛隊に発展させ、自衛隊を管理・運営する防衛庁を設けた。
同年12月、吉田長期政権を倒して成立した鳩山一郎内閣は、親米一辺倒の吉田路線との違いを強調するため、アメリカに対して一定の距離をおきつつ、共産主義諸国との関係改善を進める「自主外交」をうたった。折しも、スターリン死後で「雪解け」ムードが高まりつつあった国際情勢も手伝って、ソ連は鳩山内閣の姿勢に好感触をもち、1956(昭和31)年10月、鳩山自らがモスクワに訪れて、日ソ共同宣言の調印にいたった。日ソ共同宣言に、ソ連が日本の国連加盟を支持するとの条項が盛り込まれたことにより、同...