「古事記」や「日本書紀」によると、神武天皇以下すべての天皇が「天皇」号で呼称されている。しかし、天皇号で呼ばれるようになった時期についての説は二つに大別される。
一つは七世紀はじめの推古朝(五九三年〜六二八年)からとする説で、もう一つは天武朝(六七二年〜六八六年)からとする説である。いずれせよ、「天皇」号を使用するようになったのは七世紀に入ってからのことであるから、初代を神武天皇と呼ぶのは妥当ではないということになる。戦前は推古朝使用開始説が通説であったが、戦後になって天武天皇以降に「天皇」号が成立したという説が有力化し、次第に通説となりつつある。
推古朝使用開始説は、津田左右吉によって提唱されたものであり、法隆寺金石文に「天皇」号の記述があることから、推古朝に天皇号が用いられていたと主張する。しかし、この主張に対してはいくつかの批判がある。大山誠一は「天皇」号の使用開始は天武朝が通説であるとした上で、法隆寺金石文の記述は天武朝に追刻されたものであるして、以下のように主張する。
『疑問の第一は、文中(薬師像銘)の天皇号である。天皇号の成立については、かつては薬師像銘や天寿国繍帳銘などの法隆寺系史料によって、推古朝に聖徳太子がはじめて使用したと考えられていたが、これらの史料自体の信憑性が問題なのだから根拠にはならない。今日では、中国で、唐の高宗の上元元年(六七四)に、君主の称号が「皇帝」から「天皇」に代わったが、その情報が、天武朝(六七二〜六八六)に日本に伝わり、持統三年(六八九)に編纂された飛鳥浄御原令において正式に採用され、天武天皇に対して最初の「天皇」号が捧げられたというのが定説となっている。最近(一九九八年)、奈良の飛鳥寺の近くの飛鳥池遺跡から「天皇」の語を記した木簡が出土したが、その年代は、天武・持統朝ということで、最古の使用例と報道された。
<天皇号の成立について>
「古事記」や「日本書紀」によると、神武天皇以下すべての天皇が「天皇」号で呼称され
ている。しかし、天皇号で呼ばれるようになった時期についての説は二つに大別される。
一つは七世紀はじめの推古朝(五九三年~六二八年)からとする説で、もう一つは天武朝(六
七二年~六八六年)からとする説である。いずれせよ、「天皇」号を使用するようになったの
は七世紀に入ってからのことであるから、初代を神武天皇と呼ぶのは妥当ではないという
ことになる。戦前は推古朝使用開始説が通説であったが、戦後になって天武天皇以降に「天
皇」号が成立したという説が有力化し、次第に通説となりつつある。
推古朝使用開始説は、津田左右吉によって提唱されたものであり、法隆寺金石文に「天
皇」号の記述があることから、推古朝に天皇号が用いられていたと主張する。しかし、こ
の主張に対してはいくつかの批判がある。大山誠一は「天皇」号の使用開始は天武朝が通
説であるとした上で、法隆寺金石文の記述は天武朝に追刻されたものであるして、以下の
ように主張する。
『疑問の第一は、文中(薬師像銘)の天皇号である。天皇号の成...