エネルギーは質量を持つ
相対論の結果をどう説明したらいいか。
エネルギーはすなわち質量である
ここまで、ポテンシャル・エネルギーというのがただの人為的な概念であって、物理的な実体を表すものではないということを話してきた。 すると、相対論に関係して一見奇妙に思えることが出てくる。
それは質量に関わる話である。 相対性理論では「質量はエネルギーと等価である」という結論が出てくる。 エネルギーを多く持つほど、質量は大きくなるということだ。 例えば同じ量の水で比較すれば、冷たい水より、温かい水の方がその熱エネルギーの分だけごく僅かに重いということである。 これはほとんど誤差の範囲だから日常では実感する事が出来ないが、核エネルギーを取り出した原子が軽くなることなどからしても確かな事だろう。
ではポテンシャル・エネルギーは質量に影響しているだろうか? 実は、しているのである。 二つの物体の間に引力が働いている場合、同じ状態で比較するならば、二つの物体を引き離して配置した方が質量は大きくなる。 それはなぜであろうか? 私は前にポテンシャルエネルギーは物理的実体ではないと言った。 しかし、質量という実体として観測されるではないか?
なぜポテンシャルエネルギーが質量を持つと言えるのか? 実体を持たないものが質量を持つなどということがあるだろうか? ここではそれについて説明しようと思う。
月が地球に落ちてくる!という例
例えば、地球と月を例に取って考えてみよう。 運動エネルギーを無視したいので、月は公転運動をしていないとする。 つまり、地球の周りを回っておらず静止している状態の月を考える。 この状態では月はいずれ地球に落ちてくるのであるが、この時の月と地球の合計の質量は、落ちてくる前の方がポテンシャル・エネルギーの分だけ大きい。 なぜそのようなことになっているのかを考えよう。
月が地球に落ちてくると、だんだんポテンシャル・エネルギーは減少を始める。 しかし、地球と月の合計の質量はまだ減少しない。 ポテンシャルエネルギーが減少した分だけ、月は運動エネルギーを増しつつ地球に落ちてくるからである。 そのエネルギーが質量を持っているはずだ。 やがて月は地球に接触し、大爆発を起こすことになるだろう。 しかし、それでもまだ地球と月の合計の質量は変化しない。 なぜなら、月の運動エネルギーの大部分がこの時、熱エネルギーに変化するからである。 ポテンシャル・エネルギーは減少したが同じ分だけ熱エネルギーが増加しているのである。 では、地球と月の合計の質量はいつ減少するのであろうか?
それは、地球と月の温度が元の温度にまで下がる過程においてである。 温度が下がるためには熱放射を行わなくてはならない。 電磁波などの形で熱エネルギーを宇宙に放射するのである。 温かい物体は赤外線を放射しているが、熱くなった地球と月も、元の温度に戻るためにはこのような形で宇宙に電磁波を放射する必要がある。 質量が減少するのはこの過程である。 つまり、このときに宇宙に放射された光(電磁波)がエネルギーを宇宙へ運び去るのである。 この時放射されたエネルギーに相当する質量が失われることになる。
だから、地球と月の合計の質量が減少したのはポテンシャルエネルギーが減少したから、と言うよりもむしろ、電磁波を放射した当然の結果だと言えるのである。 落下前後でポテンシャルエネルギーの分だけ質量が異なるのは確かだが、質量が変化した原因は電磁波を放射したからであって、ポテンシャルエネルギーが質量を持
エネルギーは質量を持つ
相対論の結果をどう説明したらいいか。
エネルギーはすなわち質量である
ここまで、ポテンシャル・エネルギーというのがただの人為的な概念であって、物理的な実体を表すものではないということを話してきた。 すると、相対論に関係して一見奇妙に思えることが出てくる。
それは質量に関わる話である。 相対性理論では「質量はエネルギーと等価である」という結論が出てくる。 エネルギーを多く持つほど、質量は大きくなるということだ。 例えば同じ量の水で比較すれば、冷たい水より、温かい水の方がその熱エネルギーの分だけごく僅かに重いということである。 これはほとんど誤差の範囲だから日常では実感する事が出来ないが、核エネルギーを取り出した原子が軽くなることなどからしても確かな事だろう。
ではポテンシャル・エネルギーは質量に影響しているだろうか? 実は、しているのである。 二つの物体の間に引力が働いている場合、同じ状態で比較するならば、二つの物体を引き離して配置した方が質量は大きくなる。 それはなぜであろうか? 私は前にポテンシャルエネルギーは物理的実体ではないと言った。 しかし、質量という実体として観測されるではないか?
なぜポテンシャルエネルギーが質量を持つと言えるのか? 実体を持たないものが質量を持つなどということがあるだろうか? ここではそれについて説明しようと思う。
月が地球に落ちてくる!という例
例えば、地球と月を例に取って考えてみよう。 運動エネルギーを無視したいので、月は公転運動をしていないとする。 つまり、地球の周りを回っておらず静止している状態の月を考える。 この状態では月はいずれ地球に落ちてくるのであるが、この時の月と地球の合計の質量は、落ちてくる前の方がポテンシャル・エネルギーの分だけ大きい。 なぜそのようなことになっているのかを考えよう。
月が地球に落ちてくると、だんだんポテンシャル・エネルギーは減少を始める。 しかし、地球と月の合計の質量はまだ減少しない。 ポテンシャルエネルギーが減少した分だけ、月は運動エネルギーを増しつつ地球に落ちてくるからである。 そのエネルギーが質量を持っているはずだ。 やがて月は地球に接触し、大爆発を起こすことになるだろう。 しかし、それでもまだ地球と月の合計の質量は変化しない。 なぜなら、月の運動エネルギーの大部分がこの時、熱エネルギーに変化するからである。 ポテンシャル・エネルギーは減少したが同じ分だけ熱エネルギーが増加しているのである。 では、地球と月の合計の質量はいつ減少するのであろうか?
それは、地球と月の温度が元の温度にまで下がる過程においてである。 温度が下がるためには熱放射を行わなくてはならない。 電磁波などの形で熱エネルギーを宇宙に放射するのである。 温かい物体は赤外線を放射しているが、熱くなった地球と月も、元の温度に戻るためにはこのような形で宇宙に電磁波を放射する必要がある。 質量が減少するのはこの過程である。 つまり、このときに宇宙に放射された光(電磁波)がエネルギーを宇宙へ運び去るのである。 この時放射されたエネルギーに相当する質量が失われることになる。
だから、地球と月の合計の質量が減少したのはポテンシャルエネルギーが減少したから、と言うよりもむしろ、電磁波を放射した当然の結果だと言えるのである。 落下前後でポテンシャルエネルギーの分だけ質量が異なるのは確かだが、質量が変化した原因は電磁波を放射したからであって、ポテンシャルエネルギーが質量を持っていたというわけではないのである。
補足解説・・・運動する物体の質量は増大するか
「質量はエネルギーと等価である」と聞くと、運動エネルギーの増加はそのまま質量増加に貢献するのではないか、と考えたくなる。 ところが一般相対論によると、運動する物体が重力に与える影響と、静止した物体が重力に与える影響は異なっているのである。 よって、単純に運動エネルギーの増加が物体の質量増加に相当すると考えるのは無意味だということになる。
上の例では月の運動エネルギーが質量増加に貢献しているかのように書いているから、厳密には間違いである。 しかし、月が動く時、地球も月に向かって移動するのだから重心位置は変わっていない。 重心から見た場合に、運動エネルギーの増加が全体の質量増加と見なせる場合があるので、ひどい間違いだとも言い切れない。 それでもこの例の場合は全方向に対して対称だとは言えない大きな動きがあるわけだから、完全に静止した質量と等価とは言えないし、重力波の発生なども考慮せねばならない。 無問題とは言えない例ではある。
このことの詳細 は相対論のページで解説している。
補足解説・・・光(電磁波)は質量を持っているか
「光には重さがない」という解説を聞いたことがあるかもしれない。 これはもし光を止めることが出来たなら質量は0だという意味である。 実際は光を止めてみることは出来ないので、これは理論からそう推論するのである。 では運動する光については、そのエネルギーに相当する質量を持っている、と言えるだろうか。
理論的には光同士の間に働く重力は確かにあり、これは一般相対論で計算できる。 このことから「光は質量を持つ」と言ってしまいたいところではあるが、それは出来ない。 その重力の原因はニュートン力学で定義されるような「質量」とはまた別だからである。 しかも言葉の定義の問題だけではない。 光はエネルギーに相当する質量を持つという解釈で計算しても、その結果は現実とは異なってしまうのである。
このことの詳細 は相対論のページで解説している。
資料提供先→ http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/mass_energy.html