【1:情報】
・ 1914(大正3)年4月20日〜8月11日 朝日新聞にて連載
・ 同年9月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
(初出:「時事新報」1914(大正3)年9月26日)
[予告]
今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。
(初出:「東京朝日新聞」1914(大正3)年4月16日
「大阪朝日新聞」1914(大正3)年4月17日
[自序]
『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇|丈《〔だけ〕》を単行本に纏めて公けにする方針に模様がへをした。
然し此『先生の遺書』も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを『先生と私』、『両親と私』、『先生と遺書』とに区別して、全体に『心』といふ見出しを付けても差支ないやうに思つたので、題は元の儘にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈が、新聞に出た時との相違である。
装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。
木版の刻は伊上凡骨氏を煩はした。夫から校正には岩波茂雄君の手を借りた。両君の好意を感謝する。
≪日本文化研究Ⅷ〔近代文学〕a/b -近現代「名作」批判-≫
夏目漱石・著 『こゝろ』 ~静から始まるミステリ~
【1:情報】
1914(大正3)年4月20日~8月11日 朝日新聞にて連載
同年9月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
(初出:「時事新報」1914(大正3)年9月26日)
[予告]
今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。
(初出:「東京朝日新聞」1914(大正3)年4月16日
「大阪朝日新聞」1914(大正3)年4月17日
[自序]
『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇|丈《〔だけ〕》を単行本に纏めて公けにする方針に模様が...