地域援助技術は、地域社会の住民組織や福祉施設や行政機関などに働きかけ、その協働活動として福祉的な環境の基盤を図ろうとするものであり、住民参加の福祉活動の援助、社会資源の開発、福祉と保健・医療などの連絡調整である。もとは、イギリスやアメリカのCOS(事前組織協会)にルーツがあり、キリスト教などの救貧団体の活動がばらばらであったため、相互の連携、調整のとれたものにするために組織作りをした事からスタートしている。1869年、ロンドンでCOSは結成され適切な救済、事前の連絡調整、情報提供等を推進し、貧困者の個別救済と友愛訪問といわれる訪問指導が開始された。しかし、道徳的な観点で救済を行った点や財政的な点で問題があった。これに対し、セツルメント運動は社会改良の推進を重視する理想主義的な立場に立った大学関係者や牧師等によってCOSを批判しつつ、人格的接触を持った。
COSは数年足らずでアメリカに伝播した。COSに類似した慈善組織、貧窮予防協会(AICP)は1810年代から存在していたが、COSは1892年には92団体とAICPに匹敵する団体となり、1921年には775団体となり、AICPはCOSに合併・吸収された。COSの関心は友愛訪問の科学化及び有給職員の専門教育に19世紀末は傾斜し、慈善団体の地域組織化、連絡調整の機能を損失させていった。20世紀に入ると、COSのケースワーク機関化、セツルメントのグループワーク機関化はさらに強まった。このため、COS、セツルメントは地域の組織化の機能を損失させていった。COSとは別に社会事業施設・機関が連合して、社会事業施設連合会が誕生した。COSの連絡調整の機能をかわって引き継ぐとともに、施設まで含めた広範囲な調整活動を行った。
地域援助技術は、地域社会の住民組織や福祉施設や行政機関などに働きかけ、その協働活動として福祉的な環境の基盤を図ろうとするものであり、住民参加の福祉活動の援助、社会資源の開発、福祉と保健・医療などの連絡調整である。もとは、イギリスやアメリカのCOS(事前組織協会)にルーツがあり、キリスト教などの救貧団体の活動がばらばらであったため、相互の連携、調整のとれたものにするために組織作りをした事からスタートしている。1869年、ロンドンでCOSは結成され適切な救済、事前の連絡調整、情報提供等を推進し、貧困者の個別救済と友愛訪問といわれる訪問指導が開始された。しかし、道徳的な観点で救済を行った点や財政的な...