「昭和電工事件 -経済復興資金の乱費-」
第一 事件の概要
*昭和電工事件とは?
→1948年に発覚した政・財・官界を巻き込んだ疑獄事件。現職閣僚や大物政治家、官僚たちが逮捕され、国民に大きな衝撃を与えた事件。
*貨幣価値の比較 (本文中の金額を理解するために必要)
→日銀券発行額は昭和22年末に2191億円。平成19年4月現在では75兆3051億円。現在は当時の約343倍になっており、当時の100万円は現在の3億4300万円に相当。
第二 事件の経過
<一 戦後の経済復興>
太平洋戦争で荒廃した日本経済のために、GHQは電力、鉄鋼、肥料などの
基幹産業の急速な復興整備を日本政府に指示。(=いわゆる傾斜生産方式)
↓
食糧生産については化学肥料の生産を最優先にすることを閣議決定。
↓
資金が枯渇している民間企業の資金需要のために、政府は復興金融金庫(以下復金)を設立。
↓
各会社は融資獲得のために猛烈な運動を展開した。
*事件の舞台=昭和電工株式会社(以下昭電)
→当時、食糧量産に使う肥料の量産のために約26億3800万円の融資が行われた。
事件はこのうち12億8400万円の融資をめぐる贈収賄である。
<二 巨額な融資>
昭和22年1月、昭電・森社長ら幹部がGHQに経理上の不当を指摘され、
不信を買うことなり退陣に追い込まれる。
↓
一方でかねてから昭電の乗っ取りを画策していた日野原節三が動く。
民主党 の黒幕であり義兄である菅原通斎を通じ、当時の興銀副総裁・末広幸次郎、復金理事・二宮 、興銀理事・ 赳夫といった要人を味方につける。
昭電の後任社長の条件(財閥に関係ない者、化学工業に経験のある者、社長適格者である者)をまるでGHQの意向であるかのように設定し、「この条件にあうのは日本水素工業社長の日野原節三しかいない」と各方面、またGHQに働きかけをする。
条件を元に日野原と他2人の名前が挙がり、その中から選ぶようGHQから指令を受けた持株会社整理委員会 が日野原を選出。日野原が社長となった。
*社長となった日野原は…
・前社長の森派の勢力を一掃。代わりに長年事業を主にしてきた藤井孝らを枢要の地位にすえる。
・本社機構を改革、各工場に対しては中央集権体制を構築。
・対外的にはGHQや関係省庁、金融機関などと接触をもち資金の獲得に全力を注いだ。
↓
贈収賄事件はこういった日野原の独裁的な性格にも起因して発生した?
<三 発端はヤミ事件>
*復金から各会社へ融資された資金の使途の実態は……「赤字補填」
→回収計画が有名無実なものとなり、各会社には「借り得」という意識が植え付けられる
⇓
融資を求める働きかけも一層激しさを増す。
*その頃…
昭電秩父工場で石灰窒素などを米麦の主食とヤミで交換し、幹部の慰労金としていた事実が判明。またこれが本社重役と工場長連名による秘密司令だったことがわかり、昭電本社に家宅捜索が入る。(容疑は物価統制令違反)
<四 日野原ら逮捕>
昭電本社から押収した書類の中に
商工省への贈賄について書かれた社長秘書のメモが見つかる。
↓
捜査が進み、昭電社長秘書・砂原や官僚など64人をそれぞれ贈賄、収賄の容疑で逮捕。
逮捕された砂原らの供述から、贈賄側の中心人物として社長の日野原が浮かぶ。
↓
復金融資のために官僚に贈賄した罪で日野原を逮捕。
↓
他にも融資にからんで銀行にも贈賄していたことが判明。
三和銀行銀座支店長代理・橋本晴之助らを逮捕。
(当時は経済関係罰則の整備に関する法律においては、
銀行員も公務員と
「昭和電工事件 -経済復興資金の乱費-」
第一 事件の概要
*昭和電工事件とは?
→1948年に発覚した政・財・官界を巻き込んだ疑獄事件。現職閣僚や大物政治家、官僚たちが逮捕され、国民に大きな衝撃を与えた事件。
*貨幣価値の比較 (本文中の金額を理解するために必要)
→日銀券発行額は昭和22年末に2191億円。平成19年4月現在では75兆3051億円。現在は当時の約343倍になっており、当時の100万円は現在の3億4300万円に相当。
第二 事件の経過
<一 戦後の経済復興>
太平洋戦争で荒廃した日本経済のために、GHQは電力、鉄鋼、肥料などの
基幹産業の急速な復興整備を日本政府に指示。(=いわゆる傾斜生産方式)
↓
食糧生産については化学肥料の生産を最優先にすることを閣議決定。
↓
資金が枯渇している民間企業の資金需要のために、政府は復興金融金庫(以下復金)を設立。
↓
各会社は融資獲得のために猛烈な運動を展開した。
*事件の舞台=昭和電工株式会社(以下昭電)
→当時、食糧量産に使う肥料の量産のために約26億3800万円の融資が行われた。
事件はこのうち12億8...