算数科教育史の歴史
(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)
2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴、教育内容
算数教育の歴史を振り返ると江戸時代においては、寺子屋などでおこなわれていた教育がある。寺子屋では、算盤を用いた珠算など実学的な内容が扱われていたといわれている。いわゆる「読み書きそろばん」のそろばんの部分である。つまり、体系的な数学の知識を得るというのではなく、生活上必要な計算などの知識を得ることが重要な目的となっていた。時代が大きく変化して明治に入ると、教育令、諸学校令、教育勅語が出されるなど、短期間のうちに国家としての教育制度が整っていった。明治初期においては、数と計算の内容を中心として算数と実生活との結びつき、また欧米の様々な教科書が翻訳・紹介されるなど比較的自由な算数教育が展開されている。一方、国内の動きはというと、日本の教師や研究者らが、自らの手で創りあげていこうとする気運はそれほどなかったといえる。
そして1905年に第一期国定教科書『尋常小学算術書(黒表紙教科 書)』が編纂される。それまで多様だった教育内容が画一化される以後、国定教科書は戦前の算数教育を永く支配し、国家統制を強力なものにしたようである。国家戦争の下で、日本の教育は統制に向かっていったといえる。数え主義の徹底や幾何の学習を一部に限るなどのやり方は、国家の教育制度をどう確立するかのスタンスに立っており、この時期の算数教育は、子どもの認識の発達を考慮したものではなかったといえる。
この体性からさらに子どもの認識の発達を重視し、それに見合った教科書を作成するという動きが起こり「緑表紙教科書」が作成された。その内容は、黒表紙教科から大きく変更されている。例えば計算問題ばかりではなく、数と量と図形をバランスよく学習することとされ、目標を数理的思想の育成としている点でそれまでの考え方から大きく転換している。そして、さらに次の教科書として編纂されたのが「水色表紙教科書」である。水色教科書は、内容としては緑表紙教科書とそれほど大きな差は見られないが、一部当時の新しい数学を導入、理科との結びつきを強め実測・実験を重視するなど、内容面において発展が見られる。
そして、戦後においては、生活の重視による科学的能力の育成を目指した「単元学習」が行われる。これは日常の色々な現象に則して、数・量・形の観念を明らかにし、現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うというものである。この後、「何を、何のために、どのように」教育するのかという「系統学習」へと移行する。次に、アメリカがソ連との国際競争で優位に立つことを目標として数学教育の現代化を行った。それを受け、日本においても数学教育の「現代化」が図られた。しかし、管理体制の問題も重なり子供の負担が増加し批判が起こった。
そして、ゆとりと充実・基礎・基本を重視する「ゆとり」の時代に入る。基礎的な知識の習得や基礎的な技能の習熟を重視し、また時間をかけて数学的な考え方や処理の仕方を生み出す能力と態度を育成することを目的としている。また、教育内容を精選し、創造的な能力の育成を図り、ゆとりある充実した学校生活を実現するとしたが、配当時間は減少し、内容の多くが整理削減された。それにより学力低下や学習意欲の低下などさまざまな問題が指摘される要因ともなった。
そして、現在、「生きる力」を育成する「個性化」の教育の時代へ入ってきている。
このように、算数科教育の内容は、時代背景や国家体制によって大きく変遷をとげて
算数科教育史の歴史
(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)
2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴、教育内容
算数教育の歴史を振り返ると江戸時代においては、寺子屋などでおこなわれていた教育がある。寺子屋では、算盤を用いた珠算など実学的な内容が扱われていたといわれている。いわゆる「読み書きそろばん」のそろばんの部分である。つまり、体系的な数学の知識を得るというのではなく、生活上必要な計算などの知識を得ることが重要な目的となっていた。時代が大きく変化して明治に入ると、教育令、諸学校令、教育勅語が出されるなど、短期間のうちに国家としての教育制度が整っていった。明治初期においては、数と計算の内容を中心として算数と実生活との結びつき、また欧米の様々な教科書が翻訳・紹介されるなど比較的自由な算数教育が展開されている。一方、国内の動きはというと、日本の教師や研究者らが、自らの手で創りあげていこうとする気運はそれほどなかったといえる。
そして1905年に第一期国定教科書『尋常小学算術書(黒表紙教科 書)』が編纂される。それまで多様だった教育内容が画一化され...