民法典論争
民法典論争というのは、1889年7月に民法典が完成され、1891年から施行される予定であったが、旧民法の施行を延期するかまたは決行するかについて争った論争のことを指す。
特に民法はフランス流の民法に批判が集まっていた。それはボアソナードがフランスの個人主義を基にして作った内容であったために、日本に根付いていた伝統的な儒教の考え方が薄れてしまうという懸念があった。論争の対象となってしまったのは、財産法と家族法であった。財産法はフランス人のボアソナードが考えたものであり、家族法は磯部四郎を筆頭とした日本人学者たちが草案したものであった。つまり、新しい民法であり、個人主義な内容が日本の伝統には合わないのではないかという批判が起きてしまったのである。そして、不平等条約の改正が日本の政府の一番の課題であり、法律の編纂を急いでおり、内容の検証が十分にされていないのではないかと考えられていたためでもある。江戸時代の後半に開国したことで通商を行っていくが、その過程で治外法権などの不平等条約を結んでしまったため、日本国内には西洋の主義に基づいた法典が必要とされていた。その他にも様々な要因があ...