株主総会は株式会社における最高意思決定機関である。にもかかわらず、株主総会は「始まる前から結論の決まっている会議」とか「観客のいないショー」などと呼ばれ、形式的で形骸化したものと言われる。なぜこのような事態が生じているのだろうか。
株式会社には会社民主主義が確立しているが、この会社民主主義が政治における民主主義と異なるのは、株主の議決権が出資額に応じて割り当てられているという点である。ゆえに、株主総会における議決権も1人1票ではなく、1株1票となる。10万株を持つ大株主は、1000株しか持たない一般株主の100倍の議決権を保持することになるわけである。 こうした前提を踏まえて、株主総会が形式的なものである理由について検討してみたい。
まず第一に、今日、多くの株式会社において株式の分散化が進んでいることである。特定の企業の子会社である会社や、オーナー経営者が支配的多数の株式を握っているような会社を除いて、多くの会社では極めて大きな人数の株主たちが、それぞれに少数の株式を分散して所有するという形態が一般的である。このような会社においては、経営者(あるいは経営陣)が会社を支配するのに、発行済株式の過半数を所有する必要はほとんどない。なぜなら、少数の株式しか持たない株主の多くは株主総会に出席しないからである。彼らにしてみれば、自分達の持つ議決権が微々たるものであり、その議決権を以って株主総会の議決に及ぼす事のできる影響力が極めて限定的なものである以上、わざわざ総会に出席するインセンティブは極めて小さなものであると言わざるを得ない。
第二に、バーリとミーンズがその著書「近代株式会社と私有財産」で述べているように、委任状制度が株主総会の形式化に拍車をかけた事も見逃してはならない。
株主総会はなぜ形式的でしかないのか。まだなぜ日本では形骸化しているのか。
株主総会は株式会社における最高意思決定機関である。にもかかわらず、株主総会は「始まる前から結論の決まっている会議」とか「観客のいないショー」などと呼ばれ、形式的で形骸化したものと言われる。なぜこのような事態が生じているのだろうか。
株式会社には会社民主主義が確立しているが、この会社民主主義が政治における民主主義と異なるのは、株主の議決権が出資額に応じて割り当てられているという点である。ゆえに、株主総会における議決権も1人1票ではなく、1株1票となる。10万株を持つ大株主は、1000株しか持たない一般株主の100倍の議決権を保持することになるわけである。 こうした前提を踏まえて、株主総会が形式的なものである理由について検討してみたい。
まず第一に、今日、多くの株式会社において株式の分散化が進んでいることである。特定の企業の子会社である会社や、オーナー経営者が支配的多数の株式を握っているような会社を除いて、多くの会社では極めて大きな人数の株主たちが、それぞれに少数の株式を分散して所有するという形態が一般的である。この...