慶應通信 日本法制史  レポート

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    資料紹介

    慶應通信合格レポート 
    課題:律令格式、明治期の法典編纂、
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    日本法制史

    設問(1)について
    序論
     隋王朝、唐王朝の国家体制を一般的に律令体制と呼ばれている。これは、中央集権的なシステムで、日本や朝鮮など東アジア諸国に多大な影響・統一国家の形成に役割を果たした。そして、日本は、隋や唐の律令性を踏まえて、日本の国情に合わせた律令制を形成していくことになる。
     これらを踏まえ、本論では、「我が国における律令格式が隋唐の制度を変容・形成したのかを沿革的に」論じていく。
    第1章:隋、唐
    第1節:隋
     581年に隋の文帝は皇帝となり、開皇律令を制定、施行した。これに対しては、体系的内容を有しているため、これによって律令性が完成されたといわれている。「律」とは、刑罰規定のことを言い、残虐な刑罰が廃止されたことによって分かりやすく内容へと簡素化されている。また、「令」とは、行政規定のことを言い、三省六部制(隋・唐代で行われた政治制度)、科挙による官吏登用制や、均田制(南北朝時代の北魏から唐代まで行われた土地制度)などの唐の律令のもとになる内容を含んでいたと推定されている。さらに、地方管制も漢の州、群、県の三段階制を改めて、群を廃止、州県制とした。そしてこれ...

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