日本大学通信教育部
2019~2022年度 リポート課題集
鎌倉時代の彫刻について、運慶、快慶など慶派の仏師の作例をあげて述べなさい。
平安後期、仏像の規範を作った仏師・定朝の没後、都で活躍する仏師は、院派、
円派、奈良仏師の三派に分かれる。運慶・快慶は、そのうちの奈良仏派に属して
いた。運慶の父であり、運慶・快慶の師である康慶は、奈良仏師・慶朝の弟子で
あったとされている。
康慶が活躍するきっかけとなったのは、治承元年(1177 年)完成の蓮華王院五
重塔 8 軀の仏像制作である。康慶はこの造仏の功績により、朝廷が与える高僧
の位の法橋を授かる。こうして、自らが率いる工房の基盤を庫慶が固め始めた頃
に、運慶は円成寺大日如来坐像の制作を父から任された。その後、康慶は興福寺
南円堂の仏像の復興を担当し、東大寺では、建久 7 年(1196 年)に運慶とともに
大仏殿両脇侍像、四天王像を造立する。この仕事を最後に、康慶は他界したと思
われる。一方で、奈良仏師の正系である成朝も建久 5 年(1194 年)の資料を最後
に姿を消す。ここからいわゆる慶派系統が、まさしく奈良仏師の代表となる。
慶派の仏師で名高いのは、やはり運慶と快慶であろう。
運慶の現存する最初の作品は、奈良・円成寺の大日如来像だとされている。彼
が 20 ...